【現在】これから〜日本の村とインドの村〜

目次

4. これから〜日本の村とインドの村〜

過疎地に必要なもの

日本とインドの村

最後に

じいちゃんばあちゃんの住んだ家「おおたね」の石垣に生命力いっぱいに自生していた多肉植物。

4. これから〜日本の村とインドの村〜

過疎地に必要なもの

2016年1月に、宇和島市役所に上槙の人口を問い合わせてみた。その時、43人(29世帯)だった。

今回、2020年8月末現在で、27人(19世帯)。(宇和島市役所ホームページより。「上槙 上」と「上槙 下」を足した数字。)

もう、上槙に生きて暮らしている私の親戚はいない。


戦後にじいちゃんばあちゃんが上槙を出た時は84世帯ほどだったというから、70年余りで世帯数は約5分の1に減った。そして、現在わずかに残る住人のほとんどは高齢者だと思う。

2015年に訪ねて行った親戚・知り合いの4軒を見ても、みんな80~90代。缶コーヒーをおごってくれたおばちゃんも70代。豚屋さんのところには若い人もいるが、住んでいるのは上槙ではなく、もう少し街の方だ。

そして、個人的にはこの3〜4年ほどでの変化が私には大きかった。上槙に訪ねる人がもういなくなってしまった…という変化。


小学校はもう閉鎖されているから、子供も上槙に居られないし、子供のいるお父さんお母さんたちも居られない。

教育の機会が全くない上に、仕事の場も少ない。

あるのは農業(ただ、高原性気候で涼しいため、作物は限られている)。そして、先に挙げた豚屋さんや建設屋さん。

あとは、近年始まった風力発電や太陽光発電。

ひいじいちゃん・じいちゃんの頃まで上槙の男性の代表的な仕事だった炭焼きや林業はすっかり廃れてしまった。(ちなみに私の父は、林野庁のやっている「緑のオーナー」という国有林の木材への投資をしたが、元本割れして久しい。木材はもう売れないのだ。)


上槙は、この先どうなっていくのだろう。

「なくなりもしないだろう」とじいちゃんは言った。確かに、今まで見てきたようにぽちぽちと産業はある。でも、お年寄りだけで住んでいる世帯は、その人たちがなくなったら消えてゆく。

こうやっていろいろ考えていて気付いたのは、村に人が残るのには、子供からお年寄りまで、各世代の居場所が必要だということ。子供には遊び場所と学校、大人にも遊ぶ場所、そして仕事。お年寄りにも遊び場所。あとは、生活必需品を売っているお店や、もしもの時のための病院もできれば近くにあるといい。そう考えると、今の上槙に足りないものが見えてくる。これからも人が暮らしていくとしたら、その不足しているもの・ことを補っていかないといけないのだろう。


日本とインドの村

①共通点

上槙の話を書いている間、ずっと考えていた。『インドの村もいつか何十年か経ったら、上槙のようにさびれてしまうのだろうか・・。』

じいちゃんばあちゃん、そして両親が生まれた村が過疎になっていくのを見るのは切ない。一方で、こんな考えはただの感傷論で、町から遠い村が廃れていくのは抗えない時代の流れでもある。実際、多くのインドの村もいずれ上槙のような運命を辿ることになるのかもしれない。まだインドの村の話はブログで出せていないが、遠く離れた二つの村(戦前の上槙と、私が2013年に訪ねたインドのアンカルパダ村)には共通するところがたくさんある。

 -町から遠くて、時間がゆっくり流れていく

 -電気なし(または、あっても限られている)

 -水道なし・ガスなし

 -小学校しか村の中にない

 -店がほとんどない

 -医者もいない

インド東部のオリッサ州、アンカルパダ村の小学校(2013年)

そして、この状態から上槙は昭和の高度経済成長期を経て、時代は平成を越えて、令和になった。

その間、上槙には電気が通り、上下水道やガスも整備された。車が通れる舗装道路もできた。そして若い世代は教育や仕事のためにどんどん都市部に出て行った…。

インドでも、農村部から都市部への「移住」はもうずいぶん前から始まっている。そういう意味で、もう一つの共通点は「移住」だ。

そして、私のいたムンバイのような大都市には人があふれ、それでもまだ人は農村から、そして近隣のバングラデシュやネパールから流れ込んでくる。都市のスラムでは、狭くて厳しい環境の中で(村にいたほうがよっぽどマシじゃないかと思う条件の下で)人々はたくましく生きている。


「発展」って、「開発」って、なんだろう?

(じいちゃんばあちゃんが「移住」して東京に来たからこそ、私は都市部でこんなことを考えていられるのだが。)

電気・ガス・水道・インターネットがあるのは発展。

生まれた赤ちゃんが死なずにちゃんと育って、教育を受けられるのは発展。

病気やけがをした時にお医者さんにすぐかかれるのも発展。

みんなが使う道が、土の道からアスファルトに舗装されるのも発展だろう。まぁ、土の道の方が風情があっていいところもあるかもしれないけど。

・・なんだか、SDGsの話っぽくなってきた。いや、元々そういう話ではあるんだけど。

じゃあ、みんなが村から街へ出ていくこと、いわゆる移住は?

学校や仕事がないから人は都市部へ移るんだろう。だったら、全部の村にとは言わないが、田舎にもそういう場を作れないだろうか。生活や物流がうまく回るような場所でなら。


②移住とSDGs

この「移住」というトピックについて考えていくと、最近スーパーの放送でも耳にする国連のSDGs(持続可能な開発目標)にたどり着く。

詳しく知りたい方は、割と分かりやすくまとまっているこちらのページをどうぞ。(この記事内の目標・ターゲットの引用もこちらからしています。)

SDGsの目標11は「住み続けられるまちづくりを」だ。

関連ページによると、2007年以降、世界の人口の半分が都市部に住んでいる。

その割合は2030年まで、つまり10年以内には60%になると言われている。

目標11が主に謳っているのは、特に途上国を中心に、移住によって都市への人口集中が起こり、それでいてスラムみたいに住環境が整っていないところを住みやすい場所にしましょうね〜ということだ。

その片隅で、この目標を達成するための細かいターゲットの中に、こんな文言がある。

ターゲット11.a

「各国・地域規模の開発計画の強化を通じて、経済、社会、環境面における都市部、都市周辺部及び農村部間の良好なつながりを支援する。」

これを今回の文脈で都合よく解釈すると、農村部も孤立したりさびれていったりしないようにしましょうね〜ということになる。

こんなふうに目標11では、世界中で起こっている「移住」に伴う問題に対処していきましょう…ということが書かれている。それだけ、移住は世界的な課題なのだ。


最後に

2016年のある日、民俗学者・宮本常一さんの本を読んでいた。そこに滅びた村の話が出ていた(宮本常一著作集7「ふるさとの生活・日本の村」未来社)。

結局、人は流れ流れてゆくものらしい。過去、雪が深くて村を捨てた人たちもいる。災害で村を去った人たちもいる。それでもどうにかして生きようとして、人々はたくましく流れていくのだろう。上槙もインドの村も、きっとそんな流れの中に浮かんでいるのだ。人に見出されればそこで世代は続いていくし、人々が別の土地を必要としたなら去っていくのだろう。その一方で、私はじいちゃんばあちゃんの生まれ育った土地が誰かに愛されていくことを願っている。ちょっと矛盾してるけど。

もっと現実的な話をするなら、インドの方が日本に比べて国土がはるかに広い。移住するにも精神的な負担・その他物理的金銭的な負担もあるだろうから、都市への人口集中は日本よりも緩やかに進むんじゃないか。

それでも、農村部に人が残れるような仕組み(教育・仕事・保健医療の体制)を作っておかないと、いずれは人口が流出してしまう。

逆に、都市部から離れた上槙のような集落でも、ちゃんと舗装された道路や公共交通機関があれば、その土地の特色を生かした産業がちゃんと生き残ってゆける。

上槙のように、あまりに街から離れていたり不便な場所だと、人口流出に歯止めはかけるのは難しい。それでも、街からもう少し近かったり、そこそこ物流が整っている村や町なら、持続していける可能性はある。

何よりも大事なのは、そこに仕事の場があること。

食べていける手段があること。

リモートで仕事ができるようになってきたコロナ時代の昨今、むしろ過疎地で暮らしていく選択肢はむしろ増えていくのでは…?と考えたりもする。


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まとまりの悪い文章でしたが、ひとまずここで「かんまき物語」を終わります。読んでくださった方々、どうもありがとうございました。