こんにちは、みやまです。
青天の霹靂で、今年4月におばあちゃんが天国へと旅立ちました。94歳でした。
おばあちゃんへの思いは別のブログにしたためましたが、まだやり残していたことがありました。それは…
じいちゃん・ばあちゃんの故郷、愛媛県宇和島市にある上槙(かんまき)についての記事を載せる
ことです!
えっ、愛媛県ってどこだったっけ…?という方、愛媛は四国の西側にあります。詳しい上槙の地図はこちら。
上槙はものすごい山奥にあります。その地域の中心で、お城がある宇和島から約20km離れていて、戦前は一番近い町に行くにも2時間かけて歩くしかなかったそうです。(ちなみに、宇和島は愛媛県の県庁所在地・松山市からJRの特急で1時間半の位置にあります。)そんな上槙に電気が通ったのは戦後になってから。
「愛媛のど田舎に、誰が興味があるんだ〜?」
という声も聞こえてきそうです。
ごもっともです。
ですが、ここは、もちろん私の心の故郷であるだけでなく、
上槙について考えることはインドの(特に農村の)これからを考えることにも繋がる…!!
と私は思っているのです。
(というか、実は私の両親もこの村の生まれなので、私は出身地こそ東京ですが、血は100%愛媛の上槙人です。)
そもそも、私はインド留学中の2013年4月に2週間、東インドのオリッサ州にあるアンカルパダ村に同級生と実習に行ってきました。
そして、その村に滞在していて、
以前からじいちゃんたちにぽつぽつ伝え聞いていた戦前の上槙の状況が、デジャヴのようにそこに重なって見えたのです。
そして、私の祖父母が村を去って東京や近くの町に移住し、数10年を経て上槙がすっかり過疎の村になってしまった流れを、インドの村々もたどることになるのだろうか・・と漠然と考えました。
という訳で。
2016年春ごろ、私は実家の前に住んでいたじいちゃんばあちゃんからお茶の時間ごとに聞いた話をまとめ始めました。
当時、ばあちゃんはもう認知症が入ってきていたけど、まだ頭のしゃっきりしていたじいちゃんに読んでチェックしてもらって、レポートは完成しました。
そのレポートをブログに上げずにいたのは、ブログのインド留学記で農村実習の話を書いた後に、比べて読めるように載せようと思っていたから。
でも、月日はどんどん流れて、
2016年12月にはじいちゃんが天国へ(97歳)、
そして今年2020年にはばあちゃんもが旅立ってしまいました。
そのくせ、まだインド留学記は農村実習のところまで進んでいません(笑)。
自分の遅筆っぷりに正直泣けてきますが、
牛歩でも前に進むしかありません…!
そんな最中、購読している毎日新聞で、記者の伊藤恵理子さんがひいお爺さんの弟さんの姿を追う連載「記者 清六の戦争」という記事が目に止まりました。
伊藤さんが2005年に入社(確か)と書いてあったのを見て、勝手に『あ、きっとほぼ同い年だ。』と思い込み、連日の「清六」の記事を目にしながら勝手に肩を押されている気持ちになり、飛び飛びのインド留学記もまだまだ続く中で・・・
「かんまき物語〜インド留学記スピンオフ〜」始めます!!
歴史・民俗的な話から、昨今の状況までを綴ります。
お付き合い頂けたら、幸いです。