上槙

かんまき物語 from えひめ

【現在】これから〜日本の村とインドの村〜

目次4. これから〜日本の村とインドの村〜過疎地に必要なもの日本とインドの村最後にじいちゃんばあちゃんの住んだ家「おおたね」の石垣に生命力いっぱいに自生していた多肉植物。4. これから〜日本の村とインドの村〜過疎地に必要なもの2016年1月...
かんまき物語 from えひめ

【現在】残っていた人たち

3. 残っていた人たち(2015年)2015年1月、母方のじいちゃんの七回忌で宇和島に行った。その時、幸恵ばあちゃん・ノブヱばあちゃんと父と私とで上槙まで足を延ばした。東京から愛媛まで来るのもなかなか難しくなった父方の幸恵ばあちゃん(当時8...
かんまき物語 from えひめ

【戦後〜現在】戦後の上槙・上槙とわたし

目次 1. 戦後の上槙 2. 上槙とわたし1. 戦後の上槙ここまで見てきたように、私のじいちゃんばあちゃんが生まれ育った村、上槙は町からだいぶ離れていて、周りも山だったために開発が遅れ、戦時中まで江戸時代とさほど変わらない生活をしていた。電...
かんまき物語 from えひめ

【戦前・おまけ2】屋号

上槙には一軒一軒の家に家の名前、屋号が付いていた。「小林さんち」とか言うよりも、屋号を使っていたのだ。進じいちゃんの家は「おおたね(大谷)」、幸恵ばあちゃんと母の実家は「のぼりはえ(登りハエ)」、ノブヱばあちゃんの実家は「うしろやしき」。こ...
かんまき物語 from えひめ

【戦前・おまけ1】道を作ったひいじいちゃん

電気も水道もなかった上槙だが、もう一つないものがあった。それは道路。リヤカーや人力車、さらには車を走らせられるような舗装された道だ。「道路なんてどこでも当たり前にあるもんじゃないの?」と思われるかもしれない。私もそう思っていた。でも、山の中...
かんまき物語 from えひめ

【戦時中】祖父母2人とも中国へ

※この話は今回初めて書きました。私が2016年にまとめた「かんまきレポート」には書いてなかった内容。けれど、流れ的にも戦争の時の話が抜け落ちてるのは変だし、何よりも今年は戦後75年で少しは関心を持ってくださる方がいれば・・と思って書いてみま...
かんまき物語 from えひめ

【戦前】村の仕事・一日・夜の生活

目次5. 村での生活 ④大人たちの仕事6. 村の一日7. 村の男女(うふふ) 5. 村での生活 ④大人たちの仕事上槙の村の人たちは、どうやって生計を立てていたのだろうか?基本的には農業、そして林業によってだ。まず、どの家も田んぼでお米を作っ...
かんまき物語 from えひめ

【戦前】村での生活②子供③医者迎え

目次 3. 村での生活 ②子供たち 4. 村での生活 ③病院もなくお医者さんもいなかった 3. 村での生活 ②子供たち じいちゃんばあちゃんの時代は子だくさんだった。じいちゃんは3人きょうだい。ばあちゃんは8人きょうだい(彼女の弟の一人が私...
かんまき物語 from えひめ

【戦前】陸の孤島・村での生活①食べもの

これはおよそ昭和元年(1925年)から1945年の終戦前後の話になる。じいちゃんばあちゃんの幼少期から青年期にかけての話だ。目次1. 陸の孤島〜どこへ行くにもひたすら歩くしかなかった〜2. 村での生活 ①どんなものを食べてたの?1. 陸の孤...
かんまき物語 from えひめ

わたしの家族と上槙

私の祖父母は、四国の西南部に位置する、愛媛県北宇和郡津島町下(しも)畑(はた)地上(じかん)槙(まき)(現・愛媛県宇和島(うわじま)市津島町下畑地上槙)に生まれた。父方の祖父の進じいちゃんは大正8年(1919年)、祖母の幸恵ばあちゃんは大正...