メジと私はソーシャルワーク(社会福祉)の修士の院生だったけど、ともかくも「英語の先生」としてでさえ、NGOの活動現場に行けたことの意味はまず大きかった。
9月10日(月)からムンバイの現地の小学校にメジと通い始めて、学期間のお正月休み(10月20日〜11月18日)を除いた12月頭までは、私たちはいろんなアクティビティを挟みつつ、英語のレッスンをやってみた。
◎やってみたアクティビティ
- 折り紙(学校のフィールドワーク担当のスニル先生から提案されて)
- 英語の詩を読む (女の子たちが詩が大好きで、しょっちゅう「ポエム?」とおねだりされる)
- 背中ホメホメ(と私が勝手にそう呼んでいる)
:1学期の始めに「グループ・ラボ」クラスで習った、人と打ち解け合うためのアクティビティ。
①参加する人はみんな背中に白い紙を貼り付ける。
(紙の上部に自分の名前を書いておくか、②の1人目に書いてもらう)
②部屋の中でぐるぐる回りながら、書きたい人の背中の紙にポジティブなメッセージを書き込んでいく。(10分間くらい)
③完成した紙は、本人へのみんなからの素敵なプレゼントになる。
(私も、2012年7月にグループ・ラボで書いてもらったこの紙をいまだに捨てられないでいる。)
◎やってみた英語のレッスン
- 挨拶
- 自己紹介や友達・家族の紹介
英語の単語を見つけようゲーム
(例:“transformation”と言う単語から、単語を見つける。
“ran”“for”“at”とか、けっこう見つかる。)
- be動詞
- 3単元
- 過去形と未来形
- 会話練習(女の子たちに身近なトピックで、道案内や電話の表現など)
繰り返しになるけれど、メジと私は当初「英語の先生」という役割を期待されて、小学校に送られた。
私は初め、与えられた役割を素直にそのまま受け取った。物事を疑う、ということをしなかったのだ。だから私は毎回、子ども達のために上記みたいなレッスンプランを作ったし、どうやったらちょっとでも彼女達の英語の上達に役立つかを考えるのは楽しかった。
でも、フィールドワークの回数を追うごとに分かってきたことがあった。
同じメンバーが毎回レッスンに来る訳じゃない。つまり、レッスンの進み具合はいつまで経っても生徒によってまちまち、ということだ。
もちろん、ほぼいつも出席してくれる女の子達もいた。けれど、だいたいみんな来たり来なかったりだった。だから、レッスン計画も立てた通りには進まないし、先週の内容を知ってる子と知らない子が同じレッスンの中にいる、なんてことはザラだった。
そういう時は、グループを2つに分けてメジと私で別々にレッスンをした。メジのヒンディー語なしで女の子達と接するのはかなり困難だった。(しかも、彼女達の母語はヒンディー語ではなくマハラーシュトラ州のマラーティ語だ。)それでも、ヒンディー語⇆英語の小さな辞書をいつも持参して、それを使いながらなんとかレッスンを進めていった。
第2学期の始まった11月下旬。
2つの小学校に通い始めて数週間が経ち、レッスンもなんとなく軌道に乗って、自分にも余裕が出てきた。
また、フィールドワークと並行して進んでいたソーシャルワークの授業にもだんだんと慣れてきていた。1学期には「ソーシャルワーク」が何なのかさえ明確に理解しておらず、ただ「国際協力の現場の仕事」を学びたい一心でインドに飛び込んだ私。
そんな私が1学期を通してちょっとずつ、ソーシャルワークのやり方には「ケースワーク」(対個人のアプローチ)や「グループワーク」(対グループで進める方法)があることを知った。そして、結局ソーシャルワークはその国の発展・開発に草の根レベル(助けが必要な家族や人々と直接関わるレベル)で貢献していくものなんだなぁ・・と感じ始めた頃だ。
じゃあ、そのソーシャルワークについて今私とメジは「Nプロジェクトの英語の先生」として一体何ができるんだろう?
・・ということが新しい課題・疑問として持ち上がってきた。
実際、スニル先生からも
「フィールドワークの中でケースワーク・グループワークを実施すること。」
「ソーシャルワーカーは先生(教師)とは違う。」
と言われていた。 そんなこんなで、私もようやく学生ソーシャルワーカーとして遅い一歩を踏み出すことになった。
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