前回のお話はこちら。
秋休みに、2軒目の家に引っ越しした。(1軒目は、学校から遠いし家賃も高かったので。)
さぁ、その2軒目の家、Cアパートメントはどんなとこだったかというと…!?
どんな場所にあったの?
新しいアパートメントがどんな位置にあったかというと、
大学院まではオート(オートリキシャ)の初乗り料金15ルピー(約25円)圏内。5分で着く。徒歩だと15分。
最寄り駅ゴバンディまでも初乗り料金で行けた。
(↓地図を描いてみました。こんな感じの位置関係!)
そんなわけで、1軒目の家と比べて、通学も生活も格段に便利に✨
ちなみに、アパートメントは細長い9階建て。外見は灰色でボロい感じがしたけど、通りに面した看板には赤と黒のハイカラな字で建物の名前が書いてあって素敵だった。
各フロアに2世帯ずつ入居していて、エレベーターも自分で蛇腹(じゃばら)式の扉を開け閉めする古いタイプだったけど付いていた。
どんな部屋だったの?
さて、私たち3人(私とルームメイトのジョーと、1軒目の家で別の部屋に住んでいたムクタ)の新居は、インドでは2BHKと言われる間取りだった。こんな感じ。
日本風に言うなら2DKかな…。でも日本と違うのが、
一つの寝室(ベッドルーム)に、必ず一つバスルームが付いてくるところ。
これは一軒家でも同じ。(1軒目に住んだ家でも、友達の家に行ってもそうだった。)
バスルームと言っても湯船がある家はほとんどなくて、トイレ・シャワー・洗面台の3つがたいていある。
なんでバスルームがそれぞれの寝室に付いてくるんだろう?
インドの家が、人とシェアすることを前提にしてるのか、お風呂場を複数の人と共有するのが嫌なのか…、はたまた、イギリス植民地時代の流れ(つまり、イギリスもこんな間取り?)なのか…。調べてみると面白そう。
で、このアパートメントには既にエミィ・アーティカの2人がいて、広い方の部屋を使っていた。確か7−8畳くらいの広さ。
もう一つ空いていた狭い方の部屋(ホントは2人部屋。4畳くらい。)に、私たち私たち3人が転がり込んで来たからさぁ大変。
そもそも、部屋を下見した段階で、3人が入るには狭い物件なのは分かっていた。
でも、私が目を付けていたのはホール(日本風に言うならリビングルーム)の広さ。
ホールはわりかし広くて、南向きの開放的な雰囲気だった。
『ここに布団一つ敷いて寝ればいいじゃ〜ん。』というのが私の魂胆だった。
でも、大家のおじさん的には嫁入り前の女子が玄関開けてすぐの部屋に寝ている…というのはあり得なかったらしく、「ホールでは寝ないでくれ。必ず部屋で寝るように。」と言われた。
とは言え、大家さんも毎日チェックしにくるわけじゃなし、結局ホールで私は寝ていた。
部屋の窓には網戸が付いていてよかったけど、私たちのバスルームの窓のブラインドのすきまから蚊が侵入してきてしまって、寝る時だいぶ悩まされた。
お家賃は…
さて、そんなアパートメントの家賃。
エミィとアーティカは毎月1人7500ルピー(約1万2000円)払っていた。
私たちは、2人で15000ルピーのところに3人で入ったので、最初は大家さんが1人6500ルピーでと言ったけど、ジョーが値切って1人1ヶ月6000ルピー(約9600円)になった✨
大家さんには、「これはエミィたちには言わないで。」と念押しされた。
ところで、大家さんは律儀に毎月、家賃の領収書をくれていた。
だが、領収書の額はもっと安い2000か3000ルピー分だった。
「本当の額を書くと、もっと税金を払わないといけないから。」
だそうです。脱税…。
大家さんの金持ちっぷり
大家さんのマートレ氏は、当時おそらく50歳すぎ。
お医者さんの奥さんと二人暮らしで、息子夫婦はアメリカにいると言って写真も見せてくれた。
大家さんの住まいは、私たちの5A号室の向かいの5B号室と、その上。アパートメントの部屋の中に階段がついてて、ビルの中で2階分の住居になっていた。
大家さんちの1フロア目には、10畳くらいある広い客間があった。床はおしゃれな白と黒のチェック柄。立派なソファ・カーテンがあって、周りに大小の調度品が飾ってあった。金魚もいた。(2フロア目には入ったことがないけど、きっと居間や寝室があったんだろう。)
入居の書類を書きに行った時は、小さなワイングラスに冷えたリンゴジュースを入れて出してくれた。これはかなり感動した。
大家さんの家にはカストリエという名前のおばあちゃんメイドが来ていて、2フロア分の掃除や洗濯をしていた。私たちの家にもカストリエがだいたい毎日掃除に来てくれた。(掃除って、床をほうきで掃いて、その後雑巾で水ぶきすること。)ちなみにメイド代は月500ルピー(約800円)だった。安い…。