6月11日(月)。
9時にナビンさんがゲストハウスのフロントまで迎えに来てくれるはず、だった。私は日本人らしく9時前には朝ごはんも食べ、支度を終えて部屋を出た。
しかし…待てど暮らせどナビン氏はやって来ない。壁に貼ってあったムンバイ市の地図を眺めたり、狭いエレベーターホール付近をふらふらしたりした。いい加減待ちくたびれた10時ごろに彼はひょっこり現れた。う~ん、さすがインドだね。
そしてフロントでチェックアウト。『お宿代は出してくれるのかしら。』と淡く期待していたが、自腹だった。そうですよね。でも一泊385ルピー(約600円)。安い。
そこから再びインド政府奨学金の事務所へ。一日ぶりに事務所の重厚な木製の扉を見て、なんとなくほっとする。中のデスクには、初老の女性が座っていた。
「レヌーよ。よろしくね。」
彼女がそこの事務所を実質的に動かしているレヌーマダムだった。細身で、インドっぽく見えないワンピースを着ていて、しわの刻まれた顔にメガネをかけた優しい目。マダムは私に何枚か書類を書かせてから、3ヶ月分の生活費を現金でくれた。6・7・8月分で27,963ルピー(約45,000円)。
「このお金は少しずつ大事に使いなさい。3ヶ月以内にインドの銀行口座を開いて連絡するのよ。そうしたらその口座に9月以降のお金を振り込むわ。」
インド政府奨学金では、学費のほぼ全額が支給してもらえるのに加えて、1ヶ月につき家賃補助として3500ルピー(約5600円)、生活費の補助として7500ルピー(約12000円)がもらえることになっていた。
もちろん、それだけでは足りないので、自分でもお金を用意していった。手持ちでは10万円ほど。まず成田空港で全部USドルに換えておいて、ムンバイの空港に着いた時に半分をルピーに両替した。
それ以外では、父から念のためややまとまった金額を借りて、それを海外でも引き下ろせる銀行に入金して、キャッシュカードを持っていった。
ちなみに、2年間の留学で最終的に持ち出しになったのは30万円ほど。あとは基本的には奨学金で賄えた。また、クレジットカードも1枚持参した(現地でほとんど使っていないけど)。
事務所での手続きが済んだら、いよいよ大学院に向けて出発!
…の前に、事務所でちょっとだけ電話を貸してもらって、東京の祖父母の家に電話をした。
実家はそのすぐ近くなので、祖父母に連絡すれば自動的に両親にも伝わる。私のインド行きを一番心配していたのはおばあちゃん達だったので、ぶじに生きていることを真っ先に知らせたかった。
電話にはおじいちゃんが出た。おばあちゃんはあいにく留守にしていた。
「おじいちゃん!みやまです。」
「おぉ、みやまか。ぶじに着いたか。」
「ちゃんと着いたよ。これから学校に行くよ。お父さんお母さんにもよろしくね。」
国際電話は高いので、必要事項だけ伝えて切った。ともあれ、家族に安否を連絡できて一安心。当時は既に日本でスマホが普及し始めていたころだったけど、私はまだ持っていなかった。日本での携帯電話は凍結して来て、インドで携帯を買うつもりだった。
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