ガネーシュ・チャトルティ。(Ganesh chatruthi)
毎年9月頃にムンバイで盛大に行われる、ガネーシャのお祭りだ。
どんなお祭りかというと、日本でも有名なヒンドゥー教の象の神様ガネーシャ(インドでの発音は「ガネーシュ」)の像を飾って、お祭りの期間の最後にはなんと像ごと水のあるところに流してしまう・・・!という大胆なもの。
熱心な家族だと一家に一台(一体)ガネーシャ。
(ルームメイトのジョーのジャカルタの実家では、毎年一体お供えしてる。)
他によく見るのは、マンションの自治会や町内会ごとに祭壇を作って、ガネーシャを彫像屋さんからわっしょいわっしょい運んできて、飾る。像の大きさは身長50cmほどの小さなものから、町内会で置く大きなものは5mくらいの巨大ガネーシャ像まで。それに、お花・電飾・リボンなどありとあらゆる装飾を施して、果物や食べ物をお供えする。期間内はごはんを振舞ってくれる自治体もある。
(これは、2年目に住んだアパートメントで飾っていたガネーシャ像)
2012年のガネーシャ祭りは9月19日(水)から始まった。
お祭りの期間は場所・家庭によって5日間・7日間・9日間・11日間と異なる。それぞれ、『今日がうちのガンパティ(ガネーシャの像のこと)を祀る最終日だ。』と決めた日に、ガネーシャ像を担いで行って、海や川・池などに流す。
そもそも、前日から街は大混乱だった。
9月18日(火)。フィールドワークの後、一旦学校に戻った私は、夕方ジョーと一緒にオートリキシャで下宿に帰ろうとしていた。まず、帰り道の途中にある商店街チェンブー・キャンプに寄って、野菜を購入。いつも賑わっているチェンブー・キャンプだけど、その日は普段以上に人や車で混んでいた。みんなお祭りの準備で行ったり来たりなのだ。
で、そこからまたオートリキシャを拾って帰りたいのに、空いてるオートが全然来ない!渋滞している道端で排気ガス臭い中、ジョーとひたすら待った。20分くらいは待った。
その時、ジョーが不意に言った。
「あのバス、マイソール・コロニーを通るわよね?」
「ん?」
渋滞の中、目の前に来たのは黄色いスクールバス。ジョーはすかさず開きっぱなしのドアに駆け寄って、ドライバーに聞いた。
「お兄さん、マイソール・コロニーに帰りたいんだけど、全然オートが来ないの。乗せてってください!」
「OK。乗れ乗れ。」(まじか!笑)
「ミヤ、乗って!」
・・・ということで、かわいい小学生達と一緒に、まさかのスクールバスで帰宅。私は元々スクールバスの存在を全く知らなかったので、よく見ていた&果敢に声をかけたジョーに感謝。
さて、翌日のガネーシャ祭り第1日目は学校がお休みだった。
お昼頃、マイソール・コロニーではやかましいドラムと共に軽トラックに乗せられたガネーシャ像がコロニーをまず一周。(ここのコロニーのガネーシャ像は高さ1mくらい。)
うちの下宿先の前にトラックが来た時、大家のおじいちゃんは毛の生えた小さなココナツの実を抱えて出て行って、トラックの前でココナツを地面に叩きつけてた。(たぶん祝福の意。)
超低速で進むトラックの後ろには、ドラム叩きのお兄さん2〜3人と、その後ろを踊りながらついていく人々。私もちょっと踊りました!笑
で、夕方にはコロニー内の公園に作られた大きなテント会場で、催し物があったので大家さんやジョー達と行ってみた。会場にはインドでよく見る赤いプラスチック椅子(これが結構うまく作られてて、割と座り心地いい)が何十脚も並べられている。奥の祭壇に置かれたガネーシャ像は「これでもかっ!」ってぐらいお花や果物で飾り付けられてる。
そして、催し物ではプージャ(お祈り)があって、火を回したりしながらガネーシャ像を祝福。参加者みんなに紙箱に入ったスナックも配られた。他にたぶん歌とかのエンタメもあったんだろうけど、早々に家に戻ったのでよく分からない。
また、翌年に別のアパートメントに住んだ時は、初日のプージャは
「ブラフミン(バラモン)がまだ来ない。」
とか言って結構待たされた記憶がある。ヒンドゥー教の神官階級であるバラモンは、こういうお祭りの時は引っ張りだこみたいだ。プージャが始まるとみんな、手拍子しながら
「ガンパティ バッパ!」
「モーリャ!」
「ガンパティ バッパ!」
「モーリャ!」
と声を合わせていた。一体感があって楽しかった。
あと、そのアパートメントでは希望者だけお金(一人300ルピー。約500円)を出してお祭りに参加したのだけれど、お祭り中は毎晩持ち回りで住人のおばちゃん達が作った夕飯を食べさせてくれた。
私が見た感じでは、ガネーシャ祭り9日目が盛り上がりの最高潮だった。
9月27日(木)。なんと大学院で学食のランチがタダで振る舞われた。でも、みんなその噂を聞きつけて殺到したのか、普段はちゃんとあるスプーンが洗浄待ちでもらえなかった。インド人は手で食べるのに慣れてる人が多いので、学生のみんなは平然と手で食べている。私も、『ええい、インドに来たんだ。たまには本場っぽく食べよう!』と手で挑戦。
「あつっ。」
カレーは熱いので、うまく冷ましつつ食べましょう・・。
さて、その日の午後の授業はキャンセルになったので、フィールドワークのレポートをやったり、校内に来ていたメヘンディ屋さんにメヘンディを手に書いてもらったりした。(ヘナの塗料で指先から手首にかけて模様を描いてもらうもの。50ルピー、約80円也。数日間は持ちます。)
そして夕方。
「チェンブー・キャンプのガネーシャ像を見に行こうよ。」
とジョーが言うので、
「行く行く!」
とノリノリでオートリキシャに乗り込んだ。学校と家の中間にあるチェンブー・キャンプでは、道端に大きな神殿風の建物が作られて、日々人々がそこにあるガネーシャ像を拝みに並んでいた。
さて、チェンブー・キャンプには19時過ぎに到着。神殿は長蛇の列だった。・・並ぶこと1時間半。(ディ◯ニーかい。)
並んだだけはあった。建物の2階分の高さはある巨大なガネーシャ像。その足元には10ルピー札(約16円相当)がお賽銭よろしくバサバサ供えられている。で、出口のところには地元のおじさんおばさん達が立ってごはんを配ってくれてた。ごちそうさまです!
ちなみに、ガネーシャ像を水に沈めるところは、残念ながら2年もいたのに見られなかった。ジョーによると、彼女のジャカルタのお家では毎日大事に大事にデコレーションしてお供えしたガネーシャ像を水に流すとき、ジョー母は泣くらしい。
それだけ大切にするのに、最後には惜しみながらも手放してしまう精神性・・・。その辺から、人が死んだらお墓を作らずに火葬して、灰を水に流す風習にも繋がるのだろうか。つまりは輪廻転生?
ところで、ムンバイでは像を流すのに有名な浜辺があって、そこでは何千何万の人々がガネーシャ像を担いでいって次々と海に流すらしい・・。当然、海洋汚染も取り沙汰されていて、ガネーシャ祭りの時期の新聞にはその話が載っていた。
コメント
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ガネーシャ祭。このような盛大なお祭があるんですね。日数も結構ありますから、日本のお盆のような感じでしょうか。精霊流しのように、ガネーシャを流す。これもどんど焼きで、達磨やら破魔矢やら正月の飾り物などを焼くのにも似ていて、興味深いです。
手や腕に模様を描くのも、原始時代から人類が持っている伝統のようで、あちこちの民族が共有していて、面白いです。
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>アヨアン・イゴカーさん
なるほど・・確かに、日本にも精霊流しがありましたね。そうやって各地の文化を関連づけられるのは面白いですね!
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