第1学期(2012年6~10月)26.道端の「家々」

下宿先の豪邸から毎日学校へオートリキシャで通う時、途中の道端に小さなスラムがあった。

そのスラムは、にぎやかな商店街チェンブー・キャンプの先にあって、道路に面した壁づたいに20軒ほどの黒ビニールで作られた「家」が並んでいた。

家と言っても、一軒一軒は日本のお祭りの屋台くらいのスペースしかない。そして、後ろは建物の壁だけど、それ以外の三方は黒いビニールで覆われただけ。行ってしまえばテントだ。それも、風雨と埃でみすぼらしくなってしまったテントの「家々」。

 

それぞれの「家」の前には、すっぱだかの赤ちゃんがコンクリートの上にいたり、やせたおばあさんがホウキで家のホコリを外に掃き出していたり、サリーを着たおばさんがバケツで洗濯していたり…その人たちは文字どおり路上で生活していたのだ。

家の前にオートリキシャが停めてあるところもあった。そこで生活しているオートドライバーもいたのだろう。

 

そして、「家々」の後ろの壁の向こうがゴルフ場だったことを知ったのは、しばらく後。ゴルフ場の横にスラム…この対比はけっこうひどい。けれど実際、壁や塀ぞいに住みついている人たちはムンバイの至るところにいた。住む場所を作るにしても既に一面でき上っている方がそりゃ楽だ。

 

スラムについてはまた別の機会でも書くけれど、ともかくもその道端のスラムを私は毎日通学中に見ていた。人の生活がまさにそこで繰り広げられているところをまじまじと見るのは失礼だと思う。けれどそれ以上に、そこに住む人たちの生き様を、そして何が起こっているのかを知りたくて見ていた。

あのスラムが、私が身近で目にするはじめての「貧困」の光景だったと思う。オートリキシャの中からそれを見ながら、私のルームメイトのジョーは「悲しい」と言った。

 

その光景が目新しいものじゃなくなって2~3ヶ月した頃にふと気付いた。

私が当時住んでいた大家さんの豪邸には電気・水道はもちろん、TV、冷蔵庫、洗濯機、そして車まであった。私たち日本人と変わらないような裕福な生活をしているインド人たちだって存在する。それでも…そういう人たちがいても、あの道端のスラムの現実は変えられない(もしくは変えていない)のだ。

大家さんたちは、私以上に長い間ムンバイの貧富の差を目にしてきているはずなのに、その現実に疑問を感じたりしないのだろうか?苦しい生活をしている人たちのために、何かしようとは思わないのだろうか?自分とは関係のないことだと思っているのだろうか?

 それに気付いた時、私は茫然とした。日本から来たちっぽけな存在の私に「何か(助けになること)」をすることなんてできるんだろうかと、途方に暮れた。

 

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コメント

  1. SECRET: 0
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    >三方は黒いビニールで覆われただけ。行ってしまえばテントだ。
    今から55年以上前のことですが、川崎市北部の我が家の近くの雑木林の中に、貧しい靴屋さんの住んでいる家がありました。今考えてみれば、公道の脇に掘っ立て小屋を建てていました。そのうちは、ガラスの代わりに、透明のビニールを開口部に張っていました。
    別世界を見たようで、衝撃を受けました。

  2. みやま より:

    SECRET: 0
    PASS:
    >アヨアン・イゴカーさん
    いつも読んで下さってありがとうございます。
    なるほど…かつての日本にもあった風景なんですね。

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