ムンバイに渡航して3ヶ月。その間、私の行動範囲内(大学のあるチェンブー地域やフィールドワークで行く場所)では、一度も日本人に会うことがなかった。
およそ目に入るもの、耳に聞こえるもの何もかもが日本と違って、『同じなのは空だけだ・・・』と思っていた。たまに日本が恋しくなって、大通りを走る車の運転席を見ては、『日本人がいたりしないかしら』なんて思っても、見えるのは黒い腕(=インド人)ばかり。がっかり。
(今考えると、ムンバイの車道ではアクセルとブレーキとクラクション(大変重要)を使いこなせないと、生き残れない。仮に日本人が車に乗っていたとしても、後部座席を見た方が絶対見つけやすい。)
そんな私の「日本人見ない歴」がある日唐突に破られた。
前回の話と同じく9月10日(月)。電車にタダ乗りしようとして痛い目に合った日の午後16時過ぎ。私はフィールドワークを終えて、家の最寄り駅のチェンブーに戻ってきた。(メジは一つ先の大学院の最寄駅ゴバンディまで乗って行った。)
チェンブーはその近辺ではわりと栄えている地域。
駅の建物は古いけれど、駅前には大小たくさんのお店が軒を連ねている。お菓子屋、カーテン屋、サリー屋、仕立て屋(テイラー)、工具屋、文房具屋、カメラ屋、家具屋、食堂、レストラン、ホテル・・・。露天商もにぎやかにひしめいている。おもちゃ、タオル、プラスチック商品、そしてたくさんのスナックや果物の屋台。駅前のT字路には、オートリキシャが何十台もお客を待っている。
で、その日の私のお目当はスーパーマーケット「サハカリ」。当時の私が知る範囲では、そこが唯一ソーセージや鶏肉が手に入る場所だった。
インドのスーパーの多くでは、リュックやトートバッグは防犯上の理由で店内に持ち込めない。「サハカリ」の入り口には番号の付いた棚があって、隣に荷物係のおじさんが立っている。棚に荷物を入れると、おじさんが番号札をくれる。ただし、ノートパソコンの入ったバッグだけは、(高価なものだから?)店内に持って入れた。
私はリュックを預けてお店に入った。持って入ったのはお財布とマイバッグ(2012年の時点で既にビニール袋は有料だった。数円程度だけど。)。
さて、野菜・冷凍食品コーナーを抜けて、お菓子・加工食品コーナーに向かう短い階段を上っている時だった。不意に日本語が聞こえた。女の子の声で関西弁だ。
『日本人!??』
見ると、2人の学生風の女の子が日本語で喋りながら買い物している!
ムンバイで初めて日本人に遭遇した嬉しさと好奇心で、私は女の子たちに声をかけた。
「あ、あの・・・日本から来た方ですか?」
「は、はい。」(相手も、いきなり声をかけられてびっくり風)
「えっと、旅行されてるんですか?私はここで学生をしてるんです。」
「スラムのツアーに来てるんです。」
「へぇ〜。」
・・・そんな会話をしていたら、もう一人奥の方から日本人のお兄さんがやってきた。
私「あ、こんにちは。」
お兄さん「こんにちは。え、日本人?」
私「はい。」
お兄さん「ここで何してるんですか?」
私「留学に来てるんです。」
話をしながら、お兄さんはおもむろに携帯を取り出して、どこかに電話し始めた。
電話が終わると、お兄さんは私に言った。
「よかったら、僕らの泊まってるホテルにちょっと来ませんか?代表も会いたがってます。」
「おぉ、ぜひ!」
お兄さんが電話した相手が、学生たちのスタディツアーを主催する西村ゆりさんだった。お兄さんはゆりさんに、スーパーで日本人の留学生を発見したことを伝えた。ゆりさんは私に興味を持ってくれたらしく、「連れてこい!」と言うことになったそうな。(笑)
私もムンバイで日本の人がどんな活動をしているのか知りたかったので、お兄さんたちにホテルまで案内してもらった。
これが、ゆりさんとNGO「光の音符」さんとの出会いだった。
(②に続きます)
コメント
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>クラクション(大変重要)
アヒルや羊の群れの中を、音を出しながら進むような感じで、面白いですね。
スーパーの店内に、リュック等の持ち込み禁止というのは、理解できますが、買い物袋の代わりにリュックを背負って行くことがあるので、日本でそうなったら困りますね。
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>アヨアン・イゴカーさん
こんにちは。クラクションは、近くの車を抜かす時に「お前、出てくんじゃねぇぞ!」という意味でよく使われます。笑