1年目秋休み(2012年10月〜11月)1.秋休み前半:デリー惨敗日記①

秋休みというのは、大学院の第1セメスター(学期)と第2セメスター(学期)の間の約1ヶ月間のお休みのこと。

ちなみに、呼び名はただのヴァケーション(長期休暇)だったのを、時期が秋だから私が勝手に「秋休み」と呼んでいるだけ。

さて、うちの学校、タタ社会科学研究所(T I S S)では、第1学期の最後にあるテスト・課題提出が終わった人から順次秋休みに入っていった。

一緒の家に住んでたムクタとルームメイトのジョーは、10月17日(水)にテストが終わって、早々と帰省してしまった。(ムクタはムンバイから高速バスで3時間のところにある街プーネへ、ジョーは飛行機でジャカルタへ。)

こっちはまだ課題が残っているのに友達が去ってしまう…という状況は、けっこう精神的なダメージが大きかった。

同じく一緒に住んでたフランス女子エレンは18日にテスト終了、私の場合は、10月19日(金)に最後のレポート提出が終わって、ようやく秋休みが始まった。


秋休みが終わるのはどの学生も共通で11月18日(日)。

ところで、なぜこの時期に長期休暇なのかというと、

いわゆるインドのお正月「ディワリ」(光のお祭り)があるから。

ディワリは、毎年10月下旬から11月中旬のどこかに3日間あるお祭り。(調べたら、5日間とも書いてあったけど。)

2012年は11月13日(火)から3日間がヤマだった。(ディワリの話は後ほど。)


さて。

秋休みの前半、私は10月21日(日)から30日(火)で首都デリーに行く計画を立てていた。会いたい人もやりたい事も山ほどあった。

でも、試験中から暑さやら何やらでガックリ体調を崩していた私。結局、あらゆることを妥協し、我慢して文字通り涙を呑む、たいへん残念な小旅行になってしまった…。 そんなデリー行き10日間の旅を、箇条書きでどうぞ。


みやまのデリー惨敗日記

①日目:10月21日(日)

  • 夕方、フランス女子エレンと2人でムンバイの下宿を出発。(エレンとは25日まで一緒に行動する予定だった。その後私は東京から飛んでくる妹と合流、エレンはネパール・タイにバックパック旅行へ。)
  • 16:50 バーンドラのターミナルからデリー行き夜行列車で出発。ちゃんと定刻に出て少し感激した。車両は3等AC(エアコン付き)。寝るときはベンチだったところをあれこれすると、3段ベッドになる。エアコンが強すぎてエレンまで寝込んでしまった…。

②10月22日(月)

  • 13:45 デリーのニザムディン駅に到着。
  • わらわらと来るオートリキシャ・タクシーの客引きをかわして、プリペイドのオートリキシャでニューデリーの安宿街パハール・ガンジへ。ホテル・ナマスカールに着いて、2人して寝込む。(ホテルはエレンが調べて予約してくれてた。1泊400ルピー(約640円)。
  • 夜は、日本人でデリー大学留学中のS君とT君がホテルまで迎えに来てくれて、近くのなんちゃって日本料理屋でうどん。体調不良で頭はグラグラ。
  • 「デリーはレッド・キャピタル(赤い首都)と呼ばれていて、夜九時以降の女性の一人歩きは危険」らしい。帰りもホテルまで送ってもらって感謝。

③10月23日(火)

  • エレンは終日寝込んでた。
  • 私もほぼ同じ。ごはんはホテル近くの軽食屋さんやカフェで食べた。
  • 夕方に、父の知り合いでネルー大学(JNU)の院生だったオーストラリア人の女性Cさんがパハールガンジまで会いに来てくれて、猫のいる素敵なカフェでお茶をした。

④10月24日(水)

  • エレンも私もちょっと回復して、ここぞとばかりに動きまくった日。
  • 午前:2人でレッド・フォートとジャマ・マスジッド観光。金髪碧眼のエレンは、至る所でインド人男性にカメラを向けられたり注目されてて、うざがってた。
  • 午後:エレンはホテルに戻る。私はコーンノートプレイスで、2年前のバラナシ観光で知り合ったディラジュさんとランチ。その後お買い物。夕飯はコミュニティ・セントルという所まで行って、インド政府奨学金の同期でジャミア・イスラミア大学に留学中のAちゃんと夕飯。
レッド・フォート。エレンとこんなに身長差あったんだ・・笑。

⑤10月25日(木)

  • エレンとお別れ。彼女はもう1晩同じホテルに宿泊してからネパールへ。
  • 私は夕方の飛行機で東京からデリーに来る妹と合流する予定。
  • 日中は本屋めぐり(デリー東部の本屋街と、コーンノートプレイスのお店「ピープル・ツリー」)。教育・ソーシャルワーク関連の本を8冊くらい買い漁った。ムンバイには専門的な本屋がほとんどなかったので、これはなんとしても行きたかった。(そのくせ、結局在学中はほとんど読む暇がなかった…がっくし。)
  • 夕方、妹を拾いに空港へ。この頃には再び体調ヘロヘロ。父の友人でデリーに駐在中のおじさんSさんとも待ち合わせしていて、Sさんはドライバー付きの車で私たち姉妹をその夜泊まるインド人友人宅に送って下すった。
▼ちなみに、元気ならこうなるはずだった私と妹のドリームプラン。
10/25夜から10/28朝まで大学院の友人宅に妹と泊まる。
 その間に①デリー観光♪ ②Sさんも一緒にアグラ観光♪ ③デリーでアーユル・ヴェーダのエステ♪(予約済み)
10/28から10/29はデリーから電車で6時間ほどのジャイプルへ観光♪(ホテル予約済み)
10/30 お土産を買ってからそれぞれ帰途へ。(妹は東京、私はムンバイ。)

ところがどっこい。こんな計画はもはや私には絵に描いたモチだった…。

私の健康状態を心配したSさんは、私たちを送った後に電話をしてきて、
「その家の生活レベルじゃあなたの体調に良くないから、そこは一泊だけにして私のところに来なさい。」
とおっしゃった。(Sさんは送ってくれたときに友人宅のトイレを借りて、家の中をつぶさに観察していた。)
友人宅はインドではよくある、電気あり・エアコンなし・水シャワー…というところだった。
迷ったけれど、結局Sさんが住まいにしているグルガオンのホテルに行くことにした。

⑥10月26日(金)

  • 夕方にグルガオンに行くために、妹と2人で大荷物を背負ったままデリー観光。(しかも、妹は自分の荷物以外に、実家から私への食糧の救援物資も山ほど持ってきてくれていた。)
  • 行ったのはオールド・フォートとフマユーン廟。私の学生証を使って、外国人料金でなくインド人料金で観光♪
  • 夕方、ホテル・ハビタレに到着。その頃には、私は熱が出ていた。
オールド・フォート。

⑦−⑨10月27日(土)〜29日(月)

  • 私はもう高熱で再起不能だった。ホテルのルームサービスで和風のおかゆ(これはほんとに日本の味で感動)をすすっては寝込む日々。
  • かわいそうなのは妹。インドの人臭さや喧騒にまみれに来たはずが、近代的な街グルガオンでホテルのスイートに泊まり、お抱えドライバーまでいるリッチ生活。『まぁ、こんな生活も滅多にできないしね。』と言ってくれてたが…すまん、妹よ。。
  • 27・28日はSさんがお抱えドライバー&車を妹に貸して下さって、彼女は遠慮がちに1日1カ所、観光とエステに行ってきた。
  • 29日。本当は27日に行くはずだったアグラ観光をこっちに延期していたが、結局私は行けずにSさんが妹を連れて行って下さった。Sさんはもはや私たちの「デリーの父」のような存在だった。感謝…。

※最終日10月30日の話だけ、別に書きます。

▽当時の私がデリーから帰って秋休みの最後に書いた、とほほなポエムはこちら

でりーにまけた。