フィールドワーク先の小学校で、ソーシャルワークの活動をすることが課題だったメジと私。第2学期に入って、ようやくそれっぽいことができてきた。
障害についてのセッション
12月3日月曜日。
その日は世界障害者の日(World Disability Day)だった。
朝10時前に私はクルラ駅でメジと落ち合った。
「おはよう!」
「おはよう。」
「ミヤマ、今日は世界障害者の日よ。私、クラスで障害者についてセッションをしてみようと思うの。」
「おお、いいね。やっとソーシャルワークっぽいことができるね。」
小学校に行く道すがら、メジと私は授業計画について話し合った。
授業の目的は、女の子たちに障害について知り、考えてもらう機会を作ること。
「障害者ソーシャルワーク」を専攻しているメジが、まず生徒たちに障害についての話をして、その後にアクティビティを入れることにした。
10時半前に学校へ到着。まだ女の子たちがクラスに来ていなかったので、私たちはさらに計画を練った。
10時半過ぎに6年生の女の子が3人来た。
その子たちとまずは恒例の英語レッスン。(その日は3人称と、疑問詞を使った疑問文について。)
私がノートに太いペンで例文を書いて、メジがヒンディー語で説明。
ジョーティという子が飲み込みが早くて、他の子に自分たちの言語マラーティで説明してくれて助かった。
そして、障害についてのセッション。
①メジがヒンディー語で障害についてお話。
…女の子たちは熱心に聞いていた。「こういう人たちに会ったらどうすればいい?」というメジの問いかけに、「助けるべき!」と答えていた。
②女の子たちに障害者についての絵を描いてもらう。
…部屋にあったクレヨンを使った。英語レッスンでは苦戦していた子が、上手に絵を描いていた。3人とも楽しそうにやっていたので良かった。
午後のセッションでは、6年生と7年生の子達が来た。(インドでは小学校に8年生までいる。)
ランチの時の思い付きで、午後は絵を描く代わりに、視覚障害者の体験アクティビティを取り入れてみた。
私とメジが首に巻いていたショールを目隠しにして、女の子たちに2人1組になってもらった。1人が視覚障害者の役、もう1人は手助けする役。
助ける方の子は、
「Go straight!(まっすぐ進んで。)」
「Turn right!(右に曲がって。)」
「Stop!(止まって。)」
など英語で指示を出しながら、視覚障害の役の子に動いてもらう。全員がどちらの役も体験できるようにした。
みんな楽しそうに、キャーキャー言いながらやっていた。
その後、全員に感想を書いてもらった。
「目隠しされた時、怖かった。」
「目の見えない人が何も見えない世界でどうやって生活しているのか、想像できた。」
「目隠しされた子に指示を出すのが難しかった。」
体験型のアクティビティにした方が、より障害について実感できたようだった。
「フォト・ヴォイス」のセッション
1月28日月曜日の朝。
メジと私はやる気に燃えていた。
「フォト・ヴォイス」は元々、私たちのフィールドワーク担当のスニル先生が『これやってみたら?』と勧めてくれたセッションだ。
内容は、こちらでお題を決めて女の子たちに写真を撮ってもらい、次の週に現像して持って行き、それを撮った理由をクラスの中で発表してもらう…というもの。
お題は「幸せ」にした。
このセッションの目的は、これを通して女の子たちが自分を見つめ直すきっかけになったり、撮影や発表を任されることで自信を付けたりできること。また、私たち学生ソーシャルワーカーにとっても、彼女たちをもっと理解する材料になれば・・と思った。
この日のために、前もってA財団コーディネーターの人にもセッションの許可をもらったし、昨日の晩にデジカメもちゃんと充電した!(これは2013年の話です。スマホは出てきていたけれど、まだまだデジタルカメラが使われている時代でした。)
極め付けに・・これは私たちと一緒にA財団に配属された同級生、サムも揃って、初めて3人でやるセッション!純粋に楽しみだった。
その日は、ランチを挟んで11時からと14時からの2回、1時間ずつセッションができた。
女の子たちはデジカメを手に大はしゃぎ。
「1人1枚」
「Nプロジェクトの部屋の中でだけ撮影」
という条件だったけれど、嬉しそうに1人ずつ写真を撮っていた。
そして、宿題で「その写真を撮った理由」を書いてきてもらうようにした。
サムはメジよりもヒンディー語が堪能だったので、いつも以上に説明がスムーズに行き渡った気がした。
翌週、撮った写真を見ながら7年生の女の子たちが説明した内容は…
(名前/写真の内容「その写真にした理由」)
●アルナ/ヒンドゥー教のお祈りが書かれた貼り紙
「(文字か言葉が)美しくて、私はそれから知識をもらえるから。」
●パーラヴィ/教室に来た新しい棚
「きれいで、私はその中の本から知識を得られるから。」
●テジャスウィニ/彼女が班長の班のメンバー表(魚と泡のイラストの中にメンバーの名前が書いてある)
「それを見ると私は自分を誇らしく思えるし、私は魚が好きだから。」
●プラジャクタ/虹・孔雀・蓮と男の子・女の子の絵
「私がとっても好きな絵だから。」
●ソナリ/何色もの色の羽を持った蝶の絵
「カラフルで美しいから。」
などなど。
N校ではそれぞれの子が違うものを写真に撮って、説明にも個性が出ていて、見ているこっちも楽しかった。
その一方で、火曜日に行ったS校では様子がかなり違った。
そもそも、S校は女の子の数がN校よりも多い。
20人の女の子たちがいたので、私とメジは10人ずつのグループに分けてセッションをした。(火曜はサムは不参加。)
人数が多い上、私のカタコトのヒンディー語・英語の説明ではとてもエネルギッシュなS校の女の子たちに、思い描いた通りに動いてもらうことはできなかった・・。
女の子たちは友達と同じ写真ばかり撮ったり(観光名所のシウネリ城塞の絵)、友達の写真を撮ったりしていた。もはやお題の「幸せ」とか関係なしに、自分の撮りたいものをただ撮っているのでは・・?という感じ。
圧倒されている内に終わりの時間が来て、女の子たちは口々に
「Good bye, teacher!」
と言って帰ってしまった・・。ろくに宿題の説明さえできなかった。
さらに、翌週はこちらが全員分の写真を現像して行き損ねて、しかも先週参加した女の子たちが数人しか来ていなかった。
そんな状態では、うまく振り返りの時間が持てるはずもなく・・。
S校でのセッションは反省点が多かった。
ともあれ、やっとソーシャルワークっぽいことができたのは、学生ソーシャルワーカーとしての第一歩だった。ますますヒンディー語の必要性を痛感しつつ・・。
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