8月13日(月)。
朝8時過ぎに出発してフィールドワークに行くつもりでいたら、びっくりな理由でそれがなくなってしまった。
前日、フィールドワーク仲間のメジから電話がかかってきた。
「ミヤマ、明日明後日のフィールドワークはキャンセルされたわ。」
「えぇ?どうしたの?」
それがまた、インドならではの理由だった。
① まず、私たちのいたムンバイから遠く離れたインド北東部のアッサム州で、暴動があった。それは、隣国バングラデシュからのイスラム移民も多いアッサム州で、ヒンドゥー教徒の住民たちにイスラム教徒の住民が襲われた、という事件。
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② その暴動のニュースを聞いて、インド各地でイスラム教徒が報復として「アッサム州出身に見える顔立ちの人たち」を襲い始めた。
ムンバイでは、最大のターミナル駅CST(チャトラパティ・シヴァジー・ターミナス)で、アッサムや東北部出身に見える顔の人たちが暴力を振るわれた。
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③ なんと、そのアッサム州を始めとしたインド東北部の典型的な顔立ち、というのは、いわゆる日本人顔・中国人顔の人たちのこと!
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④ 私たちの通う大学院は、そのニュースを聞いて、私のような「東北部出身に見える」日本人留学生も含めて、東北部出身の学生がフィールドワークに行って、ムンバイ中の駅やフィールドワークの現場で襲われないために、該当者のフィールドワークを中止。
・・・という経緯だった。
民族的・宗教的に多様なインドならではの事件。
(夜のCST チャトラパティ・シヴァジー・ターミナス。イギリス植民地時代に造られた、お城のような駅舎。)
(昼のCST。駅の中にある博物館スペースから、駅正面を撮った写真。)
そういう安全上の理由で私やメジ(北東部ナガランド州の出身)も含めた主に北東部出身の学生たちは「フィールドワークに行くな。」と言われた。一方で、私・メジと同じ団体にフィールドワークに行っていたサムは、インド人顔なのでいつも通りだった。
この暴動が理由でのフィールドワーク中止は、次の週の月曜日まで続いた。(つまり、暴動があった翌週の月曜・火曜と翌々週の月曜の計3日間のフィールドワークが中止に。)
その間、フィールドワークに行けない私たち学生は、フィールドワークの代わりに学内で行われていた講演会に出席しなさいと言われたり、課題を与えられて学校で自習になった。
大学院や私の下宿先は、ムンバイの中心部から離れていたので、私はその時期も下宿先と学校、スーパーなどを往復したけれど、特に危険なことはなかった。
(暴動のあったCST駅は、私たちの住む地域から電車で1時間弱かかるところ。)
ちなみに、13・14日とフィールドワークが中止になった翌日の8月15日(水)はインドの独立記念日だった。(日本では終戦記念日ですが。)
(※参考までに…インドの独立は1947年、イギリスから。)
独立記念日はインドの祝日で、学校もお休み。
まだあんな事件があった後なので、私は特に出かけずに下宿先のマイソール・コロニー内にいた。コロニー内に入ってくるオート・リキシャの窓の脇に、インドのミニ国旗が誇らしげに飾られていた。
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