1年目フィールドワーク(2012年7月〜2013年3月)16.小学生の女の子たち inムンバイ

私とメジがフィールドワークで1年間通った、ムンバイの小学校。

今回は、私たちがそこで出会ったNプロジェクトの女の子たちを取り巻く状況についてのお話。

カリーロードのN小学校の女の子。ドラえもんの絵を描いてくれた。インドのヒンディー語版では、「ドリモン」と呼ばれてる。

目次

  1. Nプロジェクトってどういうもの?
  2. 女の子たちはどんな家から来ていた?
  3. 女の子たちは普段どんなものを食べていた?
  4. 女の子たちの身だしなみは?

1. Nプロジェクトってどういうもの?

N G OであるA財団の、女の子支援のためのNプロジェクトの対象の対象になっているのは、2012年当時で収入が月3万ルピー(約5万円弱)以下の家庭の女子だった。

(ただし、その前年までは男の子も受け入れていたらしく、N小学校のプロジェクトの部屋には、まだ男子も2人いた。)

なんで女子だけかと言うと、

インドは男尊女卑が強い国だから。

(詳しくは、こちらの記事「データで知るインド〜男性優位社会〜」をご覧ください。)

一般的に、男子は家の相続人なので大事にされる。

けれど、女子は相続の権利もなければ、お嫁に行く時に多額のダウリー(結婚持参金)を実家から出さなくちゃいけない…というような悪習が残っている場所がまだまだある。

だから、インドでは女の赤ちゃんが中絶されてしまうことも多い。運良くこの世に生を受けても、農村部などではもっぱら労働力と見られて学校(中学校以上)に行かせてもらえないケースもある。

こんな風に、家庭内で女子は男子より大事にされない上に、教育を受けていなければ大人になっても肉体労働(農村なら農業、都市部ならメイドやゴミ集めなど)に従事するしかない。

だから、Nプロジェクトは貧しい家庭の女の子たちに支援をすることで、彼女たちの学校生活を豊かにしたり、将来の選択肢を広げようとしている

A財団はムンバイの公立校と提携して、学校内にNプロジェクトが運営する部屋を置いている。私とメジが通った2つの小学校では、プロジェクトの部屋にそれぞれ50人くらいの女の子たちが来ていた。(何人来るかは、日によってかなりまちまちだったけど。)

(支援の内容は、以前に書いたものと重複するけれど、通学に必要な物資の支援や、学校内での学習支援。また、最近は中学生対象にタブレットも配っているらしい。)


2. 女の子たちはどんな家から来ていた?

私たちが出会ったNプロジェクトの女の子たちの家は、

母親は大抵メイドか主婦数人の女の子の父親は無職だったらしい。あとの父親も道端のチャイ屋、など収入が低かった。


Nプロジェクトの対象になるのは「月収3万ルピー(約5万円弱)以下」。

ここで、お家の収入がなんとなく透けて見える例を2つ。

①N校の7年生のプラジャクタ。

彼女のお母さんは、S校のNプロジェクトの先生レッカ・マダム。

お家はS校近くのスラムエリア内の家の1階で、

入り口から細い通路と奥に1部屋(4〜5畳あるかどうか)あるだけ。

その家の家賃が月4000ルピー(約6400円)だと言っていた。

そして、銀行で働く父親の月収が1万ルピー(約1万6000円)。それに加えて、レッカ・マダムのNプロジェクトのお給料が世帯の収入。(いくらかは聞いていないけど、銀行よりも安いのは明白。)

S小学校のNプロジェクトの先生。左がプシュパ先生、右がレッカ先生。

②N校の7年生の中で、1人だけ英語が上手だったテジャスワニ。

彼女の家は、駅前の商店街沿いのアパートメントの一室だった。家賃だけで少なくとも一月に5000ルピーはかかるはず…。いや、もっとかかると思う。

また、彼女は英語塾に通っていたらしいので、塾代もかかる。

ということで、彼女の家庭は多分他の子たちの家よりもいくらか裕福。


次に、親世代について。

女の子たちの両親は、若かった。

(英語のレッスンで「私は○歳、父は△歳、そして母は□歳。」という表現をやった時に判明。)

たいていの両親は30代〜40代の始めだった。(そもそも、結婚年齢も日本より早い。)

ある13歳の女の子のお父さんは31歳、お母さんは29歳だった。

また、保健関連の制度にまだ穴ボコがあるインドを象徴するかのように、「母親がもういない。」という女の子もいた。

(ちなみに、最近のデータではインドの平均寿命は68.7歳。)


3. 女の子たちは普段どんなものを食べていた?

彼女たちが食べているものは、日本人の私と全く違った。

まずはN校での話。

「朝ごはんに何を食べた?」という英語レッスンの時、

「牛乳とビスケット。」

と答えた子がいてショックだった。

また、女の子たちはよく学校に、ステンレスの小さな丸いダッバー(お弁当箱)をおやつに持ってきていた。入っていたのは

ローティ(塩味のクレープみたいなの)1〜2枚、

野菜炒め(色々スパイス入り)がちょびっと。

ローティをちぎって、野菜炒めを少しくるんで食べるのだ。

何回か、「食べてみて。」と分けてくれた。

(女の子たちに限らず、インド人は食べ物をよく分けてくれる。)

そういうおやつ以外に、学校ではお昼の給食(Mid day meal)が出る。

私が見たときは

プラオ(野菜が少し入ったインド風のパエリア的なもの)

をよそっていた。

S校のプシュパ先生によると、S校でNプロジェクトに来ている女の子達は、家が貧しいから十分な食事をしていなかったらしい。

また、7年生のある女の子は、家族が20人もいて、お母さんの料理を手伝って一度に50〜60枚ローティを焼くと聞いた。


4. 女の子たちの身だしなみは?

Nプロジェクトで出会った女の子たちは、みんな細かった。

(太めの子は1人しか見てない。)

それでも、みんなきれいに髪を三つ編みにして、清潔な制服を着て学校に来ていた。

後で詳しく書くけれど、1年目の最後にプラジャクタたちの家を見せてもらって、私はますますビックリした。

彼女たちの住む地域は、いわゆるスラムエリアだったのだ。

住環境にあまり恵まれていない所から、そうやって娘たちを清潔できちんとした格好で学校に送り出すお母さんたちの底力を感じた。

(同時に、「スラム=汚い」と簡単に一般化しちゃいけないんだ、ということも学んだ。)


家の話と言えば。

女の子たちは家でお母さんの手伝いをよくしている、とNプロジェクトの先生が言っていた。洗濯をしたり、子守りをしたり…働く女の子の姿は、他のスラムでも見られる光景だった。

あと、最後のフィールドワークの日に、

「メジ先生とミヤマ先生は叫ばないから良かった。」

と言った女の子がいた。

彼女に怒鳴りつけていたのは、学校の先生だったのか、それとも親だったのか…。