第1学期(2012年6~10月)⑫入学オリエンテーション!

 

 6月15日(金)から3日間、大学院のオリエンテーションが始まった。

同時に私は、オリエンテーション初日の朝、インドの洗礼をお腹に受けていた…。そう、アレです。インドに行った大抵の日本人が悩まされるアレ。お腹がピーゴロいうやつです。
 『昨晩の豆カレーがダメだったのかしら?』

そもそも、父の友人でインド歴の長いSさんから、「土の中にいるバクテリアの関係で、インドで野菜を食べたら必ずはじめは腹痛を起こす」と聞いていた。それがついに来た…!『しばらく、学食で辛そうなものは極力避けよう。』と思った。

 

 さて、入学オリエンテーションは新キャンパスで開かれた。

私たちが泊まっていたゲストハウスがあるのは、大通り沿いの旧キャンパス。新キャンパスは旧キャンパスの裏口を出て、狭い一般道を歩いて2分くらいで到着。

 新キャンパスはなだらかな坂の斜面にある。門の横の守衛さんの前を通り過ぎて登っていくと、右に職員宿舎が2つ。左に10階建てほどの校舎が一つ。どの建物も旧キャンパスと比べて、新しくて立派。校舎の奥に、円形の野外劇場・コンベンションセンターがあって、さらにその奥には学生用の寮と学食があった。

 

 オリエンテーションは、コンベンションセンターの800人収容のホールで行われた。入り口を入ると、まず専攻ごとで受付があった。一緒に来たタラ達とはここでいったんお別れ。

「じゃあね、またあとでね。」

私は「ソーシャルワーク」のブースに行って、受付の女性にあいさつした。

「こんにちは、(私のフルネーム)です。日本から来た学生です。」

「こんにちは!ちょっと待ってね。」

(「ちょっと」待つ。)

「あぁ、あなたはまだ専攻が決まってないから、選んでね。どれがいいかしら?」

その学校のソーシャルワーク修士課程には9つの専攻があった。私はインド政府奨学金の選考で「TISSのソーシャルワーク修士課程」に受かっただけで、専攻は決めていなかった。

(のどかな時代だった。ちなみに、私の後に受験した人たちは、受験する時点で専攻も決めておくようになっていた。)

 

 9つの専攻についてはまた後ほどたっぷりと。ともあれ、私はその時「子どもと家族」(Children and Families,通称 CF)か「コミュニティ組織」(Community Organization)で迷って、最終的に前者にした。

もともと、この大学院について教えてくれた日本人の先輩Eさんもその専攻だったし、ソーシャルワークとしては子どもと家族がいちばん一般的な対象に思えたから。(ほかの専攻には、インドならではの、もと不可触民や部族対象のソーシャルワークなどもあった。)

 また、インドに来る前から『なんだかんだ言って、家族って社会の中で大事だよな~…。』と改めて考えていたこともその専攻に決めた理由の一つ。

日本でも家族の在り方はどんどん変わっていくし、「家族」についていろんな視点から見つめなおしてみたかった。私の出席番号は、「子どもと家族」(CF)クラスの一番最後、CF27になった。(つまり、クラスは27人。)

 

 オリエンテーションは終始英語だった。

まず、学長パラスラマン先生のご挨拶から。先生は、コーヒー色のお肌にスーツをぱりっと決めた、柔和で落ち着いた物腰のおじいちゃん。(この後、毎週土曜に彼のCFクラスの授業があるのを私はまだ知らなかった。)

彼の英語は比較的聞き取りやすく、ジョークも連発してみんなしょっちゅう笑っていた。(私が理解して笑えたのは2回くらい。)

「この学校にはいろんな動物がいる。犬たちは教室にも入ってくる。かれらは君たちのクラスメイトだ。仲良くしてね。」

そして、先生は「学内では蚊に注意。」と念押しした。蚊の大っ嫌いな私は、『もちろんですとも!』と思った。

 

 他にも様々な人が話をしたが、私はまだインド人の話す独特なトーンの英語に全然慣れていなかったので、聞いたことの半分も理解していなかった。だから内容も当然覚えてない。

 唯一記憶にあるのは、学校の近くに支店を構える銀行2つのプレゼンテーション。要は、「ぼくらの銀行に口座を作ってね!」という営業アピールだった。インド中央銀行(Central Bank of India)のお兄さんは、

「我々は、あなた方の学校に一番近い支店を持っています!」

と誇らしげに言って、学生たちから拍手喝采を受けていた。私も後でそこに口座を開設した。

 

 実は、3日間あったオリエンテーションで、出席してちゃんと話を聞いたのは初日だけ。

2日目は、前日からの腹痛もあって、私は体全体が重かった。オリエンテーションには行ったものの、話は全然聞いていなかった。しかも、出席していた学生の数が、明らかに昨日よりも減っていた。ほかの学生たちの間にも『これ、話そんなに真面目に聞かなくでもいいんでないの?』という空気が漂っていた。

そういう訳で、3日目、私とタラは勝手に休んで休養した。こういう自由さには、救われた。

 

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