1年目フィールドワーク(2012年7月〜2013年3月)②フィールドワークの戦友、メジ

 まず紹介したいのが、フィールドワークでパートナーだった女の子メジ。学校からA財団に送られたのはメジ・サム・私だったけど、サムは何回か一緒に活動しただけで、普段は彼女1人で別の現場(小学校)に送られていた。また、サムは1年目の最後の農村実習で同じグループになって、とっても仲良くなったので、彼女のことはその時の話で。

(左:サム 右:メジ。1年目の終わりの私の誕生日に、ちょっとおしゃれなお店に夕飯に行きました)

 

 メジ。

彼女なしに私のインド1年目はなかった。ルームメイトのジョーを除いたら、1年目に一番親しかった友達だ。

 

 メジ(本名メズィワン。当時25歳、私は29歳)は、インド北東部のナガランドの出身。この「北東部」(North East)というのが、実は大多数のインド人とは決定的に異なる特徴だ。

 インドの北東部( 7州ある)は、もともといわゆるインドとは民族的・文化的・政治的に全く違っていて、それぞれ独立した地域だった。けれど、インドがイギリスの植民地支配から抜け出した時(1947年あたり)に、北東部も併合する形で独立したのだ。(ただ、州ごとにインドに併合された事情や時期は違う。)そのため、一部の州では今でもインドからの分離独立運動がある所も。

 

 ともかくも、そういう特殊な地域から出てきているので、メジはインドを外から見る目を持っていた。初め私はインド人はみんなインド人だと思っていたのだけれど、そうじゃない、ということをまず教えてくれたのが彼女だった。

 

 北東部の人たちは、まず外見から典型的なインド人とは違う人が多い。かれらはむしろ、私たち日本人に近い。メジはどっちかというと、中国か東南アジアみたいな顔立ち。そして、『横になる』の回でもあったように、ベジタリアンも少なくないインドで肉を食べる!とっても貴重な肉食仲間。

 また、ナガランド州のお隣、マニプル州から来た女の子たちはさらに日本人・韓国人顔だった。彼女たちも、外見が私と似ているのと、食のタブーなしに肉を食べるので、「鶏肉料理するよ〜!」とかよく部屋に呼んでくれた。

 

 そして、言葉。

メジのムンバイでの第一言語は英語だった。これも私にはありがたかった。大学院の授業が英語とは言え、学生同士の会話のほとんどはヒンディー語。そんな中で、普段から英語で話していたのは北東部・南部(こちらもヒンディー語圏ではない)出身者か、英語が堪能な一部の子達だけだった。

 メジの母語はナガ語。小学校〜高校では私立学校で英語で勉強。大学は南部タミルナドゥ州のチェンナイと、少し首都デリーにいたので、タミル語とヒンディー語もだいたい分かる。

 

 メジに限らず、インドの人はいろんな言葉を使いこなす。ムンバイのスラムにいるおばちゃんだって、ヒンディー語とマラーティ語(ムンバイのあるマハラーシュトラ州の言葉)の2つくらい使ってる。インドで自分の母語しか話さないのは、農村部などであまり教育に縁のない人たちくらいだと思う。

 ・・なんて書くと、『あぁ、日本人はなんて言語的に無能なんだ。』って思う方がいるかもしれない。けど、そこは「どれだけ他言語に触れる環境にあるか」の違いだと思う。そう言う意味で、地続きの地域・国があるというのは言語環境としては強いんだろうな・・。

 

 

 さて、メジの家族について。

彼女のお父さんはメジがまだ小さい頃、病気で亡くなってしまった。だけど、お母さんはナガランド州の大都市で務める公務員だったので、メジとお姉さんを女手一つで立派に育てた。お姉さんは銀行で働いている。

 そう。メジのお家はお金持ちなのだ。メジは当時、同級生や私がガラケーを使っている頃からスマートフォンも持っていた。それに、1年目の終わり(2013年3月)にあった、ムンバイ競馬場でのノラ・ジョーンズのコンサートにも一緒に行った。(ちなみにチケットは約5000円。小金持ち以上の人が集まってくるイベントですね・・。)

 

 そんな感じで、彼女とは金銭感覚が近いのも助かった。ある日フィールドワークの後で、2人ともどっぷり疲れ果てていた。普段なら、1時間かけて電車とオートリキシャで帰るのだけれど、そういう時、私たちは何回かタクシーを使った。交通費は、前者の方法で帰れば1人25ルピー(40円ちょっと)。タクシーだと2人で200ルピー(約340円)。200ルピーあれば、割といい夕飯が一食食べられるくらいなんだけど、私たちは楽な方を選びました。

 

 メジはとても大らかな子だった。

私はフィールドワークに行く待ち合わせで、本当によく待たされた。けれど、私もその内学習して、メジが遅れてくる時間を見越して駅に行くようになった。例えば、10時に待ち合わせなら、10:15に着くようにするとか。また、同じく『横になる』の回にあったように、彼女はよくアパートに私を招いてくれて、食べ物を与え、ただただ休ませてくれた。

 食べて、ただ何をするでもなくベッドの上に座り、眠くなったら眠る・・・日本にいた時は「時間のムダ」と思ったかもしれない。でも、それがなんとなく人間の本質でもあるのかも、なんてうっすら思ったりした。

 

 メジはそのゆったり加減が高じて時々怠け者になり、学校のフィールドワーク担当の先生との面談に行かなかったりして、怒られた時もあった。ただ、彼女の専攻は私とは違って「障害者ソーシャルワーク」で、その専攻は課題やプレゼンが多いことで有名だった。きっとやりくりに大変だったんだろうね・・。

 

 

コメント

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    インドには、色々な人種が混ざっていますね。知っているだけで北西のアーリア人、北東のアジア人、南方のドラビダ人。
    よけいなことですが、個人的にはインドも中国やアメリカ同様、大きすぎるのでもっと小さな国に分割した方が好いと思っています。アメリカも、中国ももっと分割しなければ。民族、文化、歴史、言語など、大いに異なる人々がいるのに、大雑把に政治的・経済的視点で纏められてしまっていることは、諸問題の根本理由だろうと思います。

  2. みやま より:

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    >アヨアン・イゴカーさん
    確かに、インドは違う国が30個くらいくっついた様相ですね。だからこそよくdiversity多様性を謳っていて、それを元に国作りをするのが理想のようです。現実はさておき。

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