連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)33.ガネーシャのお祭り⭐️ ガネーシュ・チャトルティ。(Ganesh chatruthi) 毎年9月頃にムンバイで盛大に行われる、ガネーシャのお祭りだ。 どんなお祭りかというと、日本でも有名なヒンドゥー教の象の神様ガネーシャ(インドでの発音は「ガネーシュ」)... 2019.05.09 連載-インドがわたしの故郷になるまで
インド サバイバル術 インド留学コラム4 インドの個室トイレの使い方! 有名な話だが、インドのお手洗いにはトイレットペーパーがない。 空港や高級レストランにはペーパーがあるけど、ない所の方が圧倒的に多い。 ペーパーの代わりにトイレの個室内にあるのは、手でおしりを洗う用の水を汲む手桶か、小さなシャワーだけ。... 2019.04.10 インド サバイバル術連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)32.横になる 9月15日土曜日。土曜の時間割は9〜13時で、学長パラスラマン先生の授業「インドの子どもたちの状況」。時間割はそうなっていても、たいてい先生たちは1〜2時間おきに「休憩を取ろう。」と言って10分ほど休ませてくれる。(先生がそう言ってくれな... 2019.04.02 連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)31.こんなとこに日本人・・・② (①からの続きです)ゆりさんたちは、チェンブー駅から歩いて数分のホテルに泊まっていた。「こんにちは〜!」NGO「光の音符」代表のゆりさんは、豆粒みたいに小さな顔に、笑顔が印象的な女性だ。歳は私の親世代、京都の大学で音楽の先生をしている。ホテ... 2019.03.28 連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)30.こんなとこに日本人・・・① ムンバイに渡航して3ヶ月。その間、私の行動範囲内(大学のあるチェンブー地域やフィールドワークで行く場所)では、一度も日本人に会うことがなかった。 およそ目に入るもの、耳に聞こえるもの何もかもが日本と違って、『同じなのは空だけだ・・・』と思... 2019.03.28 連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)29.悪いことはするもんじゃない。 9月10日(月)。月曜日はフィールドワークの日だ。 その朝、私は普段と違う駅でフィールドワークのパートナーのメジと待ち合わせした。 ムンバイの列車の駅には改札口がない。駅の切符売り場で切符を買ったとしても、誰にも見せることなく駅のホ... 2019.03.22 連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)28.まだまだ適応途上・・・ 留学生活が始まって2ヶ月半ほど経った8月下旬。それなりに毎週フィールドワークも授業もこなしているつもりだったけど、無視できない問題がだんだんと持ち上がってきた。 一つはフィールドワークの問題、もう一つは私自身の問題だった。 フィール... 2019.03.21 連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)27.フィールドワーク、開始!(第1学期の後にまとめます) 以前「第1学期 18」で書いたフィールドワーク(現地NGOでのインターン)が7月20日(月)から始まった。重複するけれど、NGOとは日本で言うNPOみたいなもの。私たちソーシャルワークの院生は、月曜・火曜の週2回フルタイムでフィールドワー... 2019.03.21 連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)26.道端の「家々」 下宿先の豪邸から毎日学校へオートリキシャで通う時、途中の道端に小さなスラムがあった。 そのスラムは、にぎやかな商店街チェンブー・キャンプの先にあって、道路に面した壁づたいに20軒ほどの黒ビニールで作られた「家」が並んでいた。 家と言っても、... 2019.03.15 連載-インドがわたしの故郷になるまで
連載-インドがわたしの故郷になるまで 第1学期(2012年6~10月)25.コトバの壁は大きい。 ※このあたりの話は、ギター奪還作戦の頃と多少日にちが前後します。 さて、大学院に通い始めて1ヶ月前後。授業のある教室に(急な教室変更があったとしても!)迷子にならずに行けるようになった。けれど、1か月経ってもまだまだ悩まされているこ... 2018.11.11 連載-インドがわたしの故郷になるまで