連載-インドがわたしの故郷になるまで

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第1学期(2012年6~10月)⑦大学院へ!

 奨学金事務所から、学校のあるチェンブル地域まではタクシーで1時間。ナビンさんが一緒に来てくれた。  さて、私の通うタタ社会科学研究所(Tata Institute of Social Sciences、通称TISS ティス)は、大きなバス...
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第1学期(2012年6~10月)⑥奨学金事務所で手続き

 6月11日(月)。 9時にナビンさんがゲストハウスのフロントまで迎えに来てくれるはず、だった。私は日本人らしく9時前には朝ごはんも食べ、支度を終えて部屋を出た。  しかし…待てど暮らせどナビン氏はやって来ない。壁に貼ってあったムンバイ市の...
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第1学期(2012年6~10月)⑤うなぎの寝床ゲストハウス

 カウンターの奥が客室だった。 中で食事も提供しているらしい。(そんなに広そうに見えないんだけど。)さっきから10代後半くらいのやせた少年(きっとお宿のボーイさん)がスーツケースを運んだり、お客さんが出入りしたりしていた。真っ黒なブルカを着...
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第1学期(2012年6~10月)④モンスーンの洗礼

 スッキリして私は「お手洗い」から奨学金事務所に戻った。(まだ誰も起きていなかった。) 私は既になにかを成し遂げた気分になっていた。 でも、ホッとしたら今度はお腹がすいてきた。食べ物は持ってない。お金は昨晩、空港の両替で手持ちの米ドルの半分...
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第1学期(2012年6~10月)③外で…。

 6月10日朝。8時くらいにはもう目が覚めてしまった。 3時間しか寝てない。ちなみに、時差はインドが日本より3時間半遅い(その頃、日本は午前11:30ということ)。 なんでそんな早く起きてしまったかと言うと、 『トイレ行きたい…。』  ナビ...
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第1学期(2012年6月~10月)②お宿を求めて

 タクシーは真っ暗な界隈で停車した。 ナビンさんはスーツケースを下ろして(タクシーの上の荷棚から振り落とされずに、ちゃんと残っていた)、「Come.」(来い)と言う。付いていくしかないので、ややおっかなびっくりで付いていく。 彼は真っ暗な...
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1.第1学期(2012年6月~10月) ①ムンバイに降り立った夜

夜中の3時だったのに、そこには信じられないくらいの数の人々がいた。 2012年6月10日(日)未明。 ムンバイ国際空港のゲートを出た私は、まず人の多さに圧倒された。 私当時29歳。 ものすごく蒸し暑い。うすら涼しい梅雨時の日本から飛んできた...
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0.インド以前

●ざっくり自己紹介 私は昭和の終わりの方の東京生まれ。ただ、両親はどちらも愛媛県の山奥の村出身で、さらにはじいちゃんばあちゃん達もそこの生まれだ。(この話はあとでも少し出てくる。)うちは4人家族。物事にはたいてい柔軟だけど、ときに頑固な父。...
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ゆるっと連載はじめます

連載「インドがわたしの故郷(ふるさと)になるまで」2012年夏、インド西部の都市ムンバイ。何もかもが日本とは違った。空を除いては。空だけが生まれ育った東京の空と同じだった。だから、よく空を見上げてはほっとしていた…。☆ ☆ ☆これは、上のよ...
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