miyama

ブログ blog

ああぁ…

インド社会ブロガー名乗ってるのに、1ヶ月近くブログ更新できてない、体たらくです。 原因は、 娘が生後10ヶ月過ぎて少し日常生活のパターンが読みやすくなったのと、 千葉県でコロナの状況がそこそこ落ち着いているのもあ...
かんまき物語 from えひめ

【現在】これから〜日本の村とインドの村〜

目次 4. これから〜日本の村とインドの村〜 過疎地に必要なもの 日本とインドの村 最後に じいちゃんばあちゃんの住んだ家「おおたね」の石垣に生命力いっぱいに自生していた多肉植物。 4. これか...
かんまき物語 from えひめ

【現在】残っていた人たち

3. 残っていた人たち(2015年) 2015年1月、母方のじいちゃんの七回忌で宇和島に行った。 その時、幸恵ばあちゃん・ノブヱばあちゃんと父と私とで上槙まで足を延ばした。東京から愛媛まで来るのもなかなか難しくなった父方の幸恵...
かんまき物語 from えひめ

【戦後〜現在】戦後の上槙・上槙とわたし

目次  1. 戦後の上槙  2. 上槙とわたし 1. 戦後の上槙 ここまで見てきたように、私のじいちゃんばあちゃんが生まれ育った村、上槙は町からだいぶ離れていて、周りも山だったために開発が遅れ、戦時中まで江...
かんまき物語 from えひめ

【戦前・おまけ2】屋号

上槙には一軒一軒の家に家の名前、屋号が付いていた。 「小林さんち」とか言うよりも、屋号を使っていたのだ。 進じいちゃんの家は「おおたね(大谷)」、幸恵ばあちゃんと母の実家は「のぼりはえ(登りハエ)」、ノブヱばあちゃんの実家は「...
かんまき物語 from えひめ

【戦前・おまけ1】道を作ったひいじいちゃん

電気も水道もなかった上槙だが、もう一つないものがあった。 それは道路。 リヤカーや人力車、さらには車を走らせられるような舗装された道だ。 「道路なんてどこでも当たり前にあるもんじゃないの?」 と思われるかもしれない...
かんまき物語 from えひめ

【戦時中】祖父母2人とも中国へ

※この話は今回初めて書きました。私が2016年にまとめた「かんまきレポート」には書いてなかった内容。けれど、流れ的にも戦争の時の話が抜け落ちてるのは変だし、何よりも今年は戦後75年で少しは関心を持ってくださる方がいれば・・と思って書いてみ...
かんまき物語 from えひめ

【戦前】村の仕事・一日・夜の生活

目次 5. 村での生活 ④大人たちの仕事 6. 村の一日 7. 村の男女(うふふ)  5. 村での生活 ④大人たちの仕事 上槙の村の人たちは、どうやって生計を立てていたのだろうか?基本的には農業、そして林業に...
かんまき物語 from えひめ

【戦前】村での生活②子供③医者迎え

目次  3. 村での生活 ②子供たち  4. 村での生活 ③病院もなくお医者さんもいなかった  3. 村での生活 ②子供たち  じいちゃんばあちゃんの時代は子だくさんだった。じいちゃんは3人きょうだい。ばあ...
かんまき物語 from えひめ

【戦前】陸の孤島・村での生活①食べもの

 これはおよそ昭和元年(1925年)から1945年の終戦前後の話になる。じいちゃんばあちゃんの幼少期から青年期にかけての話だ。 目次 1. 陸の孤島〜どこへ行くにもひたすら歩くしかなかった〜 2. 村での生活 ①どんなも...
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