1年目秋休み(2012年10月〜11月)⒌新しい家の愉快な仲間たち①アーティカ

連載-インドがわたしの故郷になるまで

アーティカは当時24〜25歳。気持ちぽっちゃりしてる、色白のメガネ女子。

生まれたのは首都デリー。でも、家族は西インドのグジャラート出身(グジャラーティ)。

彼女の名前の意味は「お姉さん」らしいけど、一人っ子だった。(両親がもっと子どもが欲しかったのかな…インドは男の子をよく欲しがるし。)

彼女は2012年の5月に私たちの大学院TISSの「グローバル化と労働」専攻を卒業。同居人の中で唯一の社会人(なりたてほやほや)だった。

でも彼女のオフィスがあるのはバーンドラ。通勤は、私たちのいたチェンブー地区からバスで40〜60分かかる。バス代は数十円レベルで安いけど、時間は馬鹿にならない。

実際、私たちが引っ越しして数ヶ月後、アーティカはバーンドラの近くにシェアのアパートメントを見つけて引っ越していった。

⒈寂しがり屋さん?

私が引っ越しする少し前のこと。まだ1軒目の家で、引っ越し前に熱を出して寝ていた時の話だ。

私の携帯に知らない番号から電話がかかってきた。

私「ハロー?」

アーティカ「ハロー?私はアーティカ。私の住んでるアパートメントに、デリーから荷物が届いたの。その荷物に書いてあった番号を見てかけたんだけど…。」

私「あぁ!ありがとう!私の名前はミヤマ。来週引っ越すから、先に荷物を送っておいたの。」

アーティカ「そうなのね。嬉しい!やっと誰かここに来てくれるのね!」

なんか、行く前から私が来るのをすごく喜んでくれていた。


で、数日後の11月4日(日)に引っ越し。

引っ越してみて彼女が喜んでいた訳が分かった。

秋休みの間、ルームメイトのエミィは帰省していて、アーティカは本当なら4人くらい住んでいられる広さのアパートメントで一人暮らしだったのだ。

しかも、アーティカたちと暮らすにつれて判明したのだけど、エミィは学校のある平日は「寝に帰る」ぐらいしかアパートメントに帰ってこない。22時〜23時に帰ってきて、翌朝授業の始まるギリギリまでベッドで寝ている。そりゃあアーティカも淋しくなるよね。

⒉長電話

寂しかったせいか、アーティカはよく家で長電話をした。1時間でも2時間でも、ヒンディー語でペラペラしゃべってた。

はじめ、私は長電話はアーティカだけの専売特許かと思っていた。

でも、ジョーも含めて周りのインド人もみんな長電話だった。

友達とだけでなく、頻繁に遠くにいる家族と長電話をする。(たいていのTISSの学生は、親元を遠く離れてムンバイに来ていたし。)

日本人からすると、ちょっとびっくりするくらい家族とよくしゃべる。インド人の家族の絆は日本人以上に強い。それがこんなとこにも現れてた気がする。

あと、長電話を支える電話料金も安い。

ムンバイのSIMカードでは、ムンバイ市内だと1分1ルピー(約1.6円)。市外でもそこまで劇的に変わらなかったイメージ。(逆に、ムンバイのSIMカードを携帯に挿したまま、ムンバイ市外に出ると、途端に料金が高くなった。)

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