インドで出会った世界① いったい、僕はどういう運命なんだろう…[ハディ@アフガニスタン]

ワタシ×社会×世界

「インドで出会った世界」シリーズ。第一弾はアフガニスタンです。

これは2013年の写真。

大学院のフェスティバルで、私たち留学生が歌&ダンスのパフォーマンスをした時の1枚。

写っている人たちの国・地域が当てられますか?

(気になる人のために…前列の左から、バングラデシュ・ネパール・日本・インドネシアのインド人コミュニティ・パキスタン・ネパール・中国。後列左から、インドの北東部・アフガニスタン・ドイツ・ドイツ。です!)

最近ひしひし感じるのです、

こうやってたくさんのバックグラウンドを抱えた友人たちが、一時期とは言えひとつの場所で関わり合えたのは、奇跡だな…

と。


アフガニスタンから来た男の子ハディは、2012年当時で20代半ばだったから、きっと今は30代前半。

彼は他の2人のアフガン男子と一緒に、アメリカの奨学金経由でカウンセリング修士を学びに来ていました。

親しみのある東洋系の顔。社交的な性格。1日5回のイスラム教のお祈りはそこまで厳格にやらない、リベラル派。

そう言えばヒンディー語会話もできてて、羨ましかったなぁ…。(たぶんアフガニスタンではインドのTV番組が見られるのかな。)

他の留学生の仲間についても同じことが言えるけど、

彼らはインドの外から来て、インドでの暑く、熱く、ハチャメチャな日々を共に乗り越えた戦友でした。

ハディはそんな仲間の1人で、留学生友達の中でも頻繁にごはんに行ったり、一緒にダンスをした男の子でした。

お互い帰国してからも、Facebookのおかげでお互いの様子が分かったり、メッセンジャーアプリでたまに話したりもしていました。


そして、今年11月の頭、Facebookでハディのこんな投稿を目にしました。

いったい、僕はどういう運命なんだろう、

僕たちに安全な場所なんてどこにもない、モスク、病院、教育センター、大学、大学…

でも、自分たちの何がいけないのか分からないんだ。

上は、カブール大学襲撃フレームを使ったハディのプロフィール写真。下が、今回紹介した投稿。

なんて悲痛なつぶやきなんだ!

ハディの住む首都カブールで何があったんだろう?

と思って調べてみたら、こういうニュースが出てきました。

カブール大学で襲撃、22人死亡 ISが犯行声明(以下のリンクが開きます。)

カブール大学で銃撃、22人死亡 ISが犯行声明 - BBCニュース
アフガニスタンの首都カブールにあるカブール大学で2日、武装集団が乱入して銃を発砲し、少なくとも22人が死亡した。武装集団は治安部隊と1時間にわたって銃撃戦を繰り広げた。

よく見たら、ハディのプロフィール写真も「カブール大学襲撃」フレームになってる…。


『アフガニスタンの30代以下の若者たちは、平和な時代を知らない』と聞いたことがあります。

実際、私がインド留学を終えた2014年以降も、

国際ニュースでカブールでのテロ報道を度々目にしていました。

最初の方はテロが起こるごとに、Facebookのメッセンジャーで

「テロがあったらしいけど、友達や家族は大丈夫?」

と聞いていました。(彼らは無事でした。)


でも、悲しいことに、ちょくちょく起こってるんですよね、カブールでのテロ。

私も次第に慣れてきてしまって、テロのニュースを目にしても『またか…。』くらいに思って、ハディたちに連絡をしていませんでした。


けれど、今回のハディの投稿は本当に悲痛だった…。

たまらなくなって、ハディにメッセージしました。

「ハディ、私アフガンの友達のために何ができるか考えてるんだ…私のブログであなたの投稿を紹介してもいい?」

返事は「いいよ。」でした。


…こんなふうにして、今回の記事は始まりました。

実際、アフガニスタンを始め、世界のあちこちで起こっている悲しい出来事に対して、ちっぽけな自分にできることなんてありません。

でも、私が松戸でテロの心配なんて微塵もなく、1歳児の子育てでヒーヒー言っていた時に、カブールでは友達が悲しんでいた。

『日本は本当に平和なんだ…。』と有り難いながらも、なんだかちょっと途方に暮れてしまった。

この気持ちを忘れないで、1日1日を大切に生きたい。

自己満足に過ぎませんが、そんな思いでこの記事をアップします。


【今日の1冊】

アフガニスタンと言えば、この人。マスード司令官。

2001年のアメリカの同時多発テロの直前に惜しくも暗殺されてしまった、アフガンの英雄。

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