1年目フィールドワーク(2012年7月〜2013年3月)⑥NGOオフィスで窓際族

仕事がない・・

 

 前回の7月24日はやることがあって公立学校に行けたのだけど、実はそれから1ヶ月ちょっとの間、私とメジは完全に干されていた。

 

 前述の通り、フィールドワークは学期内の毎週月曜・火曜にNGOにインターンをしに行くこと。

 普通は、フィールドワークと言えば学生ソーシャルワーカーとして、プロジェクトの一端を任されたり、子どもやお年寄り、障がい者などと直接触れ合う機会、学びの機会を与えられるものだ。

 

 でも、私たちが配属になったA財団の学生担当のクリパは、残念ながら私たちインターン生を有効活用してくれなかった・・。

 

 

 公立学校に行った翌週の7月30日(月)。

サム・メジ・私は10時前にNGOのオフィスに着いた。

 で、その後クリパは、サムとだけ30分くらい打ち合わせをして、サムを市内の公立学校(この前行ったのとは別の所)へ送った。(彼女はこの日から、小学校でティーチング・アシスタントの役目をすることになった。)その間、私とメジはひたすら待機。

 13時から14時まではランチ休憩。

その後、クリパから何の指示もなく、また待機。

15時前になって、ようやくお仕事が与えられる。

「この前学校で行ったベースライン調査の書類をよく見て、スペルミスを直したり、調査のフローチャートを作りなさい。」

というもの。

 その日はそれに17時半まで取り組んで、帰宅。

 

 またある日は、やっぱり1〜2時間待たされた後に、「ムンバイ市内にある大学をインターネットで調べて、8月下旬にやる財団のイベントのボランティアスタッフを募集するために、電話をかけなさい。」というタスクがようやく降ってきた。

 

 私とメジは、ランチ休憩を除いた9時半〜17時半の間はオフィス内にいることになっていたのに、与えられる仕事はとても少なかった。むしろ、何も指示をされずに(クリパさえオフィスに現れずに)メジと何時間も座っていたことの方が多かった。

 クリパ以外のオフィスにいた人たちに「何かやることはありませんか?」と聞いても、無駄だった。そういう時は、よくメジにインドについても疑問をぶつけたり、いろんな話を2人でした。メジは私がインドを理解するための先生の1人だった。

 

 ちなみに、こんな状態を学校の先生たちに訴えられなかったのか?と言うと、一応手段はあった。

 まず、私たちは毎日フィールドワークのレポートを書いて、大学院のフィールドワーク担当の先生に送ることになっていた。実際、私はレポートの度に

「今日も2時間半やることがなかった。」

「財団はインターン生が来ることが分かっているのに、なぜこんな人材の無駄遣いをするのだろう。」

みたいな疑問を書いていた。

 

 また、月曜・火曜のフィールドワークが終わった後の水曜の午前中は、時間割上は「学生とフィールドワーク担当の先生のミーティング時間」ということになっていた。でも、担当のスニル先生とはなんだかんだで数回に1度くらいしか会えなかった。

 ただ、当時の私はフィールドワークがどういうものなのかを自分でもよく理解していなかった上に、英語でのコミュニケーションも貧弱だったため、結局スニル先生に会えても実りのあるミーティングにならなかった・・という側面もある。とほほ。

 

 

観察。

 

 そんな窓際族なフィールドワークを送っていた中で、NGOのオフィスで話されているヒンディー語会話は分からないものの、メジと私はそこの様子を観察していた。

 

 ムンバイでも有数の乗り換え駅であるダーダーから徒歩数分のオフィス。オフィスの中には、

役職付きの人用の個室3つ、

パソコンが8台くらい並んだオープンスペース、

小さな会議室1つ(4〜5畳ほど)、

それよりも小さな作業部屋2つ、

トイレ2つ

があった。

 

 私とメジはだいたい会議室かオープンスペースにいた。

オープンスペースには、経理の女性・ホームページ作成担当の男性のほか、いつも2〜3人スタッフさんがいた。(みんな20〜30代に見えた。)

 その中の女性1人は、よくフェイスブックをパソコンで見ていた。よっぽどやる事がなかったのかもしれないけれど、仕事の時間中に堂々と団体のデスクトップでそんなことをしている光景にはびっくりした。

 

 また、そのオフィスにはAC(エアコンのこと。ムンバイにはほぼ冬がないので、ACと言えばクーラーのこと。)が完備されていた。だから、クーラー嫌いの私はいつも防寒のためにショールを巻いていた。

 

 インドでは、ACがある所はお金持ちだ。

うちの大学院(国営)でさえ、ACが付いていたのはお偉いさんの先生のオフィス、パソコンルーム、そして入学式やイベントが行われるコンベンション・ホールだけ。それ以外の部屋には天井から扇風機(ファン)がぶんぶん回っているだけだった。

 街中のレストランには、常温スペース(扇風機だけ)とACスペースが分かれているお店もあって、ACスペースは常温のとこよりも価格設定が高かった。

 

インドでよく見る扇風機(ファン)。天井に取り付けてあって、風速が5段階くらいで調節できる。

写真のリンク先:https://www.kitchenarena.in/best-ceiling-fans/

 

 そこから分かるように、私たちのフィールドワーク先のA財団はお金があったのだ。(ついでに書くと、サムはオフィスにいた時に、財団が100万円単位の買い物をしていた会話を拾い聞きしている。)スニル先生は、「A財団はNGOじゃなく企業だ。」とこぼしていた。

 

 実際、こういう事態はしばしば起こるらしい。

近年は減りつつあるようだが、インドでは欧米の慈善団体や企業からの寄付による資金援助が、NGO業界の大きな支えになってきた。A財団のようにうまく寄付をもらう団体は、国内外の団体・企業に向けたアピールが上手いのだ。

 逆に、良い仕事をしていても、人やお金の余裕がなくてカツカツの状態で活動している零細NGOもたくさんある。(私が2年生でお世話になったのはこのパターンの団体だ。)

 

 そういう皮肉な現実も、A財団では学んだ。一口にNGOと言っても、全然違う。規模もやり方も違えば、どれだけ実際に人々の役に立っているのかも、かなり差があるように思えた。

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