第1学期(2012年6~10月)34.七転八倒!1学期末

9月5日ツイッターより

「白状します。大学院の授業、半分くらいしか理解してません。でもこれから怒涛の試験&課題の期間が始まるー。力不足だから圧倒的に時間が足りない。それでも前に進むしかない。」

***

「1学期目がいちばん大変なのよ。あとはだんだん楽になるわ。」

とカウンセラーのソナリが言っていた。

それは正しいと私も思う。1学期と、その期末試験の期間が一番しんどかった。

9月いっぱいで1学期のフィールドワークも授業も終了。10月頭からは約20日間の期末試験&課題提出期間が始まった。

(ただ、私は学期中にフィールドワークを2日分病欠していたので、その埋め合わせをしないといけなかった。その分は試験が軒並み終わった10月3週目にヘロヘロになりつつ行ってきた。)

試験・課題のスケジュールはこんな感じ。

10月1日(月)「基礎コースⅢ」(2時間)・「基礎コースⅣ」(2時間)

(※ちなみに、基礎コースⅠ・Ⅱの試験は8月・9月の頭にあった)

10月6日(土)「リサーチ方法」(1時間)

※修士論文を書くための調査方法の授業

10月8日(月) ※日本では体育の日で祝日だったけど、インドではもちろん関係なし・・。

「ソーシャルワークの歴史と捉え方」(2時間)

10月9日(火)「ケースワーク」(2時間)

10月10日(水)「グループワーク」(2時間)

10月11日(木)「インドの子供の状況」(2時間)

10月12日(金)「量的調査方法」(2時間)

10月19日(金)「インドの子供の状況」課題提出締め切り

で、これが終わったら1学期と2学期の間に1ヶ月間のお休み!

まず、9月29日(土)に1学期最後の授業が終わって、翌日の日曜日はルームメイトのジョーと一緒にスーパーマーケットに引きこもり用の食料の買い出しに行った。しばらく試験以外では学校に行かなくていいので、家に籠もって勉強できるように。

当時の下宿先があるマイソールコロニーは街中からだいぶ離れた場所にあった。いちばん近い商店街(チェンブー・キャンプ)までオートリキシャで10分弱。スーパーマーケットやショッピングモールまではオートリキシャで15分。という隔絶ぶり。コロニーの中に訪問販売の食パン屋さん(自転車チリチリ鳴らしながら売りに来る。後ろの荷台に卵も山積みしている)や八百屋さん(手押し車に野菜を乗せてやって来る)はたまに見たけど、ソーセージやお菓子はスーパーまで行かないと買えない。

さて、インドの大学院の試験ってどんなものかと言うと、

●基本的に論述形式で、ガリガリ書いて書いて書きまくる。

●日本の試験より時間が長い時が多い。2時間は普通。

出題されるのは授業でやった内容や、授業中に先生が示した読み物だった。私のやった試験勉強は、

①  授業ノートを見直す。分からないところは友達に聞く!

②  指定された読み物(大学院のオンラインシステムで見られる)をひたすら読む。(かなり量が多いので、英語の文章を読み慣れていないとけっこう苦痛・・。)

③  自分なりに項目別に文をまとめる。それを何度も書いて覚える。

あと、一緒に住んでいたフランス人女子エレンの戦法は、

④  書いた文章を読んで覚える

というもの。彼女は試験当日の朝、リビングでノートを音読しながらぐるぐる歩いていた。

ところで、ムンバイの10月は「オクトーバー・ヒート」(10月の熱)と言われるくらい暑い時期だった。この街が1年で一番暑いのは5月と10月。6〜9月のモンスーン(雨季)の前後だ。35度越えの日もざら。ある日、学校からマイソール・コロニーの入り口まで帰ってきて、下宿まで歩こうと思ったら大変だった。普段は歩いて5分くらいの距離なのに、暑すぎて歩き続けられない。30秒くらい歩くと息切れとめまいがする。歩く。日陰で少し休む。歩く。また少し休憩。を繰り返してようやっと下宿にたどり着いた。

そんな暑さの中、この期間は私は腹痛やら熱中症気味になりながら、さらに試験勉強で寝不足。しかも、この時期私たちは11月以降に住む家探しも並行していた。私たちというのは、

①私

②ルームメイトのジョー

③同じ下宿に住んでいたメディア学科のムクタ

の3人。

(数ヶ月の留学で来ていたカリッサはアメリカに帰り、もう半年いる予定のエレンは、バンドラに引越し予定だった。バンドラは学校からリキシャで1時間かかるけれど、フランス人がいっぱい住んでいておしゃれなお店も多い地域。)

また、この頃ムンバイ市内のオートリキシャのメーター料金が値上げされた。家から学校への片道料金が40ルピー(約65円)→50ルピー(約80円)になり、ますます『学校近くに引っ越さなきゃ!』と思った。

2度目の家探しは、年の途中で実際ほとんど選択肢がなかった。まず、大学院の事務所にある下宿先リストにある大家さんに、片っ端から電話をかける。(私が電話してみて、英語が通じる人ならそのまま話す、ヒンディー語じゃないと通じない人は、すぐ横にいたジョーに電話を代わってもらった。)

そして、①まだ空きがあって②学校からオートリキシャで5分以内、徒歩15分以内の条件で見に行けた物件は2つ。1軒目は学校の裏門から徒歩3分くらいで近いけど、スラムを通らないと行けないのと、日当たりが良くなかったので却下。

2軒目は見に行くのにジョーの都合が悪かったので

「ミヤが良いと思ったところなら決めていいわ。」

と言われ、ムクタと私の2人で見に行った。

で、そこに決めた。チェタン・アパートメント。学校からオートリキシャで5分弱。セピア色の細長い8階建ての建物の6階。2BHK(キッチン付きのリビング1部屋、トイレ・バス付きの個室2室)で、個室が1つだけ空いていた。リビング(9畳くらい)が南向きで日当たりが良くて、壁に素敵な本棚が付いていた(私的おすすめポイント)。個室は3人で5畳くらい、と狭かったけれど、『私が布団を出してリビングで寝ればいいかな。』と思った。

でも、ジョーは「狭いわ!」と言って気に入ってくれず、結局2軒目の家も2学期の間だけになった・・・(笑)。

ともあれ、試験も、家探しも、フィールドワークの埋め合わせ2日間も、ボロボロになりながらなんとかかんとか一つずつこなしていった。

10月17日(水)には、こっちはまだ19日(金)の課題提出が残っているのに、ジョーとムクタは試験が終わって実家にそれぞれ帰ってしまった(インドネシアと、ムンバイからバスで3時間のプーネへ)。広い下宿の2階に残されたのは私とエレンだけで、かなり心細かった。

そしてついに、私も19日に全てが終了・・・!チェタン・アパートメントの大家のマートレさん(50代のおじさん)にジョーと私の敷金2万ルピー(約3万2000円)も払いました!

さぁ、楽しみにしていたお休みがやってくるん♪

***

これで第1学期のお話は以上です。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました(^^)。

お休み&第2学期の話に行く前に、第1学期中のフィールドワークの話を挟みます。

コメント

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    エアコンはアパートについていましたか?(書かれていたかもしれませんが、覚えていないものですから)
    35℃の気温の中、歩いて帰ってくるのにも余計な時間が掛かる・・・大変ですね。そんな状況の中で、試験勉強は、身体的に大きな負担になったでしょうね。
    とは言え、貴重な経験になったことは間違いないですね。

  2. みやま より:

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    >アヨアン・イゴカーさん
    こんにちは。1件目の下宿の部屋には、古い形のエアコンがついていました。あとは、インドでは基本的に天井に大きな羽のファン(扇風機)がどんな家でも備え付けられていますね。

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