さて、13~14時のランチタイムの後、私と職員さんは学校を出発した。
職員さんは、40代後半くらいの背の高いおじさん。英語はしゃべれない。私はぎこちないヒンディー語で自己紹介をした。おじさんにも名前を聞いた。(もう忘れちゃった。ごめんなさい。)
おじさんが英語を話せず、私もヒンディー語ができなかったので、実際私たちはほとんど意思の疎通ができなかった。共通認識はたった一つ、「空港から無事にギターを取り戻してくる!」だった。
まず、空港までタクシーを使うことにした。その時点で既にコミュニケーションに失敗した。学校の近くのタクシーのたまり場で、おじさんは私に
「AC?」
と聞いた。エアコン付きタクシーのことだ。ムンバイにはエアコン付きのタクシーとエアコンなしのがある。エアコン付きの方が料金が高めで、台数も少なめ。
「オーケー。」
本当は全然オーケーじゃなかった。私は冷房は苦手だ。でも、その時まだ私は「断れない日本人」だった。寒くなったら切ってもらえばいいと思っていた。そして、AC付きタクシーの方が値段が高いと言うのもなんとなく知っていたけど、そこまで高くないだろうと油断していた。
ともかくも、青い車体のAC付きタクシーで出発。大学院から空港までは車で約1時間の道のり。結局、冷房は車内が冷え切って『もうだめ、これ以上耐えられない…』と言う限界まで我慢して、「寒い!」と言って切ってもらった。
15時少し前。手紙にあった受付時間ギリギリになって、タクシーは空港の貨物オフィスに到着。気になるタクシーの料金は…650ルピー!!!(約1040円)
日本人のみなさんには、『なんだ、安いじゃん』と思われるかもしれない。でもこれは、当時1日100~200ルピーで生活していた私にとって、たいへんな高額だった。『ACタクシーにはもう金輪際乗らない』…そう固く心に誓った。
で、着いたその1か所目は間違いだった。オフィスで手紙を見せると、別の場所に行けと言われた。おじさんと私はそこからオートリキシャに10分くらい乗って、本当の目的地に着いた。
その建物は、赤と黄色のインド郵便局の看板の付いた、薄暗くて陰険な雰囲気のところだった。なんだかんだで時間はもう16時前。
私たちは案内されて3階のオフィスに行った。そこは棚だらけで入り組んでいるものの、かなり奥行きのありそうな部屋だった。棚という棚にはラベルの付いた大小さまざまの荷物が無造作に詰め込まれていた。その棚に囲まれるようにして、古びた小さな木の机があって、サリーを着た小柄なおばあちゃんが座っていた。
まずは、一緒に行ってくれたおじさんが手紙を見せながらおばあちゃんに事情を説明してくれる。現地の言葉が分からない私は、荷物の山を眺めながら『このどこかに、私のギターがあるんだ…」と思いを馳せていた。
ところが、サリーのおばあちゃんがやおら英語で私に言い放った。全部は聞き取れなかったけれど、要は「取扱時間も過ぎているし、今日はできない」ということだった。
なんですって!?冗談じゃない。時間を過ぎたのは、正確なオフィスの位置を手紙で示さなかった郵便局側にも落ち度があったし、授業を抜けてはるばる1時間以上かけてここまで来て、手ぶらで帰るわけにはいかなかった。私は半ばぶち切れて声を上げた。
「私には、今日しかないんです!授業があるから、もう来れません!私は今自分のギターが欲しいんです!」
…みたいなことを英語でまくしたてた。そして、勝手にその周りの棚を探し始めた。
すると、そこの職員のお兄さんに止められた。けれど、どうやらこちらの切迫した状況が通じたらしく、奥の方から私のギターを運んできてくれた!『なんだ、やればできるじゃん!』(心の声)
今度は、サリーのおばあちゃんが「ここで開いて中身を見ないといけない」とのたまう。もはや、どうにでもなれ、という気分だった。その場にいた郵便局のお兄さん・おじさんたちと一緒に、父が厳重に梱包してくれた段ボールを開く。果たして、ギターは弦も切れずに無事な姿で出てきた。ホッとしたのも束の間、ケイティ・マムが危惧したようにここで余分なお金を払わされるのでは…と少し緊張した。
おばあちゃんはしげしげとギターを見つめている。ケースの底には、クリアファイルに入った楽譜も入れてあった。
おばあちゃん「これが楽譜ね?」
私「そうです」
おばあちゃん「あれは?あの弾く時の小さいやつは?」
ん?ピックのことかな?クリアファイルの中に一緒にあったはず…なんでそんなものが見たいんだろう?あ、発見。
私「これ?」
おばあちゃん「そう、それよ」
それから、おばあちゃんは言った。
「私は、このギターが新品かどうか調べていたの。新品だと関税がかかるからね。でもこれはあなたのギターだわ。あなたはお金を払う必要ありません。」
ピックを見るまで中古品か新品か判断できないなんて…。そもそも、私のギターは何年も前に友達からもらった年代物だ。楽器が届く度に、ここの人たちはこんなあほなやり取りをくり返しているのだろうか。
ともかくも、私は安堵してギターを抱えて帰ろうとした。その瞬間におばあちゃんの一言。
「今は渡せないわ。私たちがあなたの家まで送ります」
はぁ~?この期に及んで?そもそも、取りに来いって意味じゃなかったの?今ここで私が持って帰った方が、あなたたちも楽なんじゃないの?…と思いつつも、もう従うことにした。最後まで思い通りにならないギター救出劇だった。
そこからの帰路は、オートリキシャにした。料金は150ルピー(約240円)だった。所要時間も、タクシーと大して変わらなかった。オートの中で横から入ってくる風にびゅんびゅん吹かれながら、「ふざけろインド!」と心の中で叫んでいた。
ちなみに、ギターは翌日には家に届いた。やればできるじゃん…。その2日後が、始めにゲストハウスでルームメイトだったネパール人のタラのお誕生日だった。学校にギターを持って行って、ハッピーバースデーを弾いた。
(オートリキシャの座席からの眺め。今回の話とは別の時に撮ったもの。たぶん、このリキシャドライバーのお兄ちゃんは、NO SMOKING 禁煙と書きたかったんだと思う。)
コメント
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大変ですね、自分のギターを回収するだけなのに。
ギターは結構弾いてらっしゃるんですか。
私は、中古の鈴木のクラシックギターを昨年練習しましたが、今は全くやっていません。
最近、ゲーリー叔父さんには会っていませんが、元気でしょうか。
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>アヨアン・イゴカーさん
お久しぶりです。ギターは大幅なブランクを挟みつつ、細く長く続けています。おじちゃんは先日里帰りしてきたようですよ(^^)