第1学期(2012年6~10月)⑬お部屋探しは…

 さて、学校のゲストハウスはあくまで仮のお宿だったので、私はこれから2年間住むための下宿先を探さないといけなかった。

 初めは、ゲストハウスでのルームメイトだったタラも、学校の外の家を探すんだと思っていた。けれど、何かの時にタラに、

「家、どうやって探す?」

と聞いたら、彼女は、

「ううん、私は必要ないの。学校の寮に入るから。」

と言われてしまった。ショック!!

 

 もともと私は入学手続きの際、既に「学校の外で住む場所を見つけないといけないわよ。」と留学生事務所のおばさんから言われていた。だから留学生のみんなは同じ境遇なのだと思い込んでいたけれど…違った。

 うちの学校は、年によって寮に入れる学生の基準がコロコロ変わる。私のいた時は、寮に入れた留学生は南アジア諸国(ネパール、パキスタン、アフガニスタンなど)から来た学生と、短期留学の学生(これは、どこの国からでもOK)。

 つまり、留学生仲間の中ではエレン(フランス人)、スィリヤ(スイス人)、ジョーティ(インドネシア国籍のインド人)と私(日本人)が寮に入れなかった。

ちなみに、歴代の日本人留学生のみなさんはたいてい寮に入れたみたい。

 

 もう一つ補足すると、インド人学生の中でも寮に入れる、入れないの基準は分かれていた。修士課程の場合、寮に入れるのは

 1年生…ST(指定部族)の学生

 2年生…学生ほぼ全員(留学生は例外)

だった。

 STというのは、Scheduled Tribeの略。インドには多種多様な民族がいて、よく言う大多数の「インド人」(ヒンドゥスターニ)とは顔も文化も習慣も異なる人々が、だいたいこのSTカテゴリーに属している。要は、少数民族のための優遇枠だ。(このカテゴリーと関連して、インドでは有名なカーストによる優遇枠もある。これはまた別の機会にゆっくりと。)

 

 日本人の感覚からすると、学校の寮に住むっていうのはどちらかと言うと少数派だと思う。そもそも、首都圏の大学では寮がないところも多い。その一方で、インドでは全土から集まってくる学生たちのために寮が用意されていた。例えば、私のクラス27人中ムンバイっ子は2人。それ以外の25人は、1年生の間は(STの子以外は)学校の外に下宿して、論文が忙しくなる2年生になると寮に入れてもらえる…(私以外。笑)という具合だった。

 

 さて。頼みの綱だったタラは下宿探しが必要ない、と知って私は『なんてこった、一人で部屋探さないといけないなんて…!』と途方に暮れた。だが、それも束の間、同じ留学生仲間のジョーティも部屋を探していることが分かり、一緒に探せることに!しかも、一軒目の家は案外あっさり見つかった。(この「一軒目」というのが実はポイントなのだけど。)

 

 入学オリエンテーションの初日が終わった後、私たち留学生ズは学校の外に夕飯を食べに行った。オートリキシャを3人ずつ乗り合いして着いたのは、Kスターモール。こぢんまりとした映画館付きのショッピングモールだ。店舗は各階にせいぜい3~4軒。一番上の4階のフードコートでご飯を食べた。お店の選択肢はマクドナルド、KFCと、中華屋さんとピザ屋さん(確か)。私は中華屋さんで

Chicken Beijing noodles(とり北京めん)130ルピー(約200円)

というのを頼んだ。白い麺の上に、にんにく・ねぎ・唐辛子と細切りの鶏肉がたっぷり入った茶色のあんかけが乗っていた。とっても辛い。しかもお箸がなくって小さなプラスチックのフォークでがんばって食べた。

 

 そして、その場にいたのが救世主、カリッサ。彼女はボストンから3ヶ月だけここに来ている医学生だった。ごはんを食べながら下宿探しの話が出た時、彼女が、

「あら、私が泊まっている家にまだ空き部屋があるわよ!きれいな所よ。」

と教えてくれた。

「お湯のシャワー出る?」(とっても重要)

「出るよ。」

「冷蔵庫ある?」

「あるわよ。」

云々聞いて、翌日ジョーティも一緒に家を見に行くことになった。そして、実際に見て、部屋もきれい、学校にもオートリキシャを使って15分程度で行ける!OK!…ということで、ジョーティと私はその家の二人部屋に住むことに決めたのだった。

 

(どんなお家だったのか…その話は次回にします♪)

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