6月10日朝。8時くらいにはもう目が覚めてしまった。
3時間しか寝てない。ちなみに、時差はインドが日本より3時間半遅い(その頃、日本は午前11:30ということ)。
なんでそんな早く起きてしまったかと言うと、
『トイレ行きたい…。』
ナビンさんのおトイレを使わせてもらおうと廊下に出ると、寝る前は開いていたナビンさんとこのドアが閉まっている。いやーな予感。
ガチャ。
お約束で鍵はかかっている。
ナビンさん達はまだ寝ているはずなので、ちょっと控えめにノックをしてみた。しかし、そんなやわなアプローチではもちろん気づいてもらえるはずもない。私はその時はまだ相手を慮る日本人だった。インドに2年行った後の私なら、こういう緊急事態においては「相手に悪い」などと考えずにガンガンとドアを鳴らしてナビン一家を叩き起こしている。インドでそれは許される。でも、当時の私にまだそんな常識はなかった。
私は困りながら自分の部屋に取って返して、スーツケースから「旅の指さし会話帳 インド」を出し、ある単語を調べた。そしてまたナビンさんのドアをさっきより強く叩いた。
「シャオチャーラエ!(トイレ)シャオチャーラエ!」
それでも、ナビン一家が起きる気配はない…。
困り果てた私は、まず事務所内に他のトイレがないか探してみた。
私が寝た部屋の隣も事務室。廊下の奥のドアには名前のプレートが付いている。私はしばらく躊躇してから、そのドアノブを回してみた。カチャ。『開いた!』シャワールームみたいな部屋。人気はなかった。誰かの家っぽい雰囲気。できるなら、さらに入って誰かを探してお手洗いを借りればよかったのだけれど、まだそんな大胆な行動を取る勇気は私にはなかった。諦めてドアを閉めた。
しかし、私の生理機能は待ってはくれない。
しょうがないので事務所の外に出ることにした。初めは『きっとこのビル全体がインド政府奨学金のオフィスで、他の部屋や階にトイレがあるのでは…。』と期待していた。でも、そうじゃなかった。事務所は私の見たところで終わりで、後は他の事務所や世帯が入っているようだった。かくなる上は、ビルの外におトイレがあるか探すしかない!私はビルの入り口を出て、時計回りに探索を始めた。左側…なし。奥…なし。しかし。ビルの奥は駐車場になっていて、さらにそのどん詰まりの塀の手前には木がまばらに植えられていた。そこの地面は土だ。
もはや私に残された道はアレ
しかなかった。ビルの窓からうっかり誰かに見られることのないように、私は隠れられる適当な太さの木を探した。そして…。
もうお分かりですね。私は29歳にして、幼稚園か小学校ぶりに外でおしりを出すハメになったのでした。そして、幸か不幸か、インドではそれが最初で最後ではなかったのです…。
コメント
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Her Motherを見に来られた時、出版ではなくブログ記事にされるということを聞いて、楽しみにしていました。
大変でしたね。
私の母は敗戦直後の9月に北海道へ渡った時、まだ21歳でした。一年だけですが、三菱商事で働いていました。
三菱商事の丸の内本社は当時日本で一番進んだビルで、エレベーターやコックつきの社員食堂もあるような所でした。そこ仕事をしていた人間が、電気も、水道も全くない北海道の開拓地へ行きました。農作業をしている時、どうしても我慢ができなくて、茂みの中にしゃがんで用を足したと言っていました。後からですから、笑い話のように言いましたが、不愉快な思い出だったと思います。
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>アヨアン・イゴカーさん
コメントありがとうございました。
あら、お母さまも…。親近感を覚えます。
あれは、『終わるまで誰も来ないで~』っていうソワソワ感があるんですよね…。
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