3月12日火曜日。
その日がA財団Nプロジェクトでの最後のフィールドワークだった。
N校は前の週に最後のレッスンをして、その週は月曜も火曜もS校に行った。
どっちの学校の女の子達も、最後のレッスンには温かい贈り物をくれた。
ハート型やポップな形に切り抜いた、カラフルな手作りカード。
ピアスやネックレス、ペンケースを贈ってくれた女の子達も。(たぶん一つ10ルピーくらいの。約16円。)
メジと私は週に1回、数時間しか来てなかったのに。
Nプロジェクトに来ている子は家が貧しいはずなのに。
こうやって「ありがとう」の気持ちを惜しみなく表してくれる女の子達から、なんかこう、心の豊かさみたいなものを感じた。
さて。
午後2時。メジと私は最後のレッスンを終えて、レッカ・マダムとギータ・マダムと一緒にS校を出発。(本当はS校のプシュパ・マダムが来るはずだったけど、来られなくなったので代わりにN校のギータ・マダムが来てくれた。)
校門を出ると、道を挟んで学校の正面に既に「スラム」と呼ばれる家々がある。
ここの家々は、鉄板やトタン屋根みたいなもので四方を囲った4〜5畳ほどの「家」。ドアにはちゃんと丸い金属錠が付いてる。(これでも、その後見ることになる家よりずっと家っぽい。)
この家々は毎週目にしていたけど、その奥に進むのはその日が初めてだった。
学校の裏手から、ムンバイローカル電車の西線(ウエスタン・ライン)の線路が伸びている。
その線路沿いの道の両側に、スラムの家々がずっと続いている。
(線路沿いにスラムが立ち並ぶのは、ムンバイでよく見る光景だ。)
道路は舗装されてない、土と砂利の道。
私「この道、雨季は大変だろうね。」
メジ「そうね。」
この時は乾季だったけれど、雨季(6〜9月)は道が泥でグチャグチャになってしまうだろう。舗装された道路だって洪水になるくらいの降水量なんだから。
そこの「家々」は、ほこりっぽい黒いビニールシートで作られた家。やっぱり大きさは4〜5畳四方。家と呼ぶよりテントと言った方が合うかもしれない。
「このスラムの人たちは水道・ガス・電気がない。水は学校の近くの井戸へ汲みに行かなきゃいけない。料理するのは家の前のかまど(コンクリートのブロックみたいな塊で三方を囲って、そこで火を起こす。)でよ。」
レッカ・マダムが言った。
けっこう道端に出ている住人もいた。
洗濯物がたくさん入った、ステンレス製のたらいの前に座っているサリー姿の中年女性。バケツの横で食器を洗っている女性。
ススで焦げたかまどに残っている、火を焚いた後の灰。
その光景は延々100mくらい続いただろうか、圧巻だった。
私がムンバイで見た数々のスラムの中で、その線路沿いのスラムは1、2を争うくらいみすぼらしかった。
こちらは生活の場に踏み込んでいるのも同然で、じろじろ見るのが躊躇われた。
自分がどんな顔をしてそこを歩けばいいのかも、その時は分からなかった。
でも、そこに住む人たちにはそれが日常で、取り繕う必要もない現実が目の前に広がっているだけだった。
そのスラムから来る2人の生徒の「家」はその時みんな留守だった。だから中に入ってみることはできなかった。
ずっと歩いていって、線路沿いのスラムが途切れるころ、線路と反対側に一つの地区があった。
そこが、今回家庭訪問をしたスラム地区。
この地区から、N校の女の子が何人か学校に来ていた。
そのエリアは、一応「スラム」と呼ばれるカテゴリーに入るものの、線路脇のスラムよりははるかにましな場所だった。
(スラムは「十分な公共インフラや設備がない住居が密集しているところ」*と定義されている。)
*https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4746497/
そこには、日本人の私から見ても「家」と呼べるものが建っている。
でも、日本の家と違うのは1軒1軒が離れていなくて、1〜2階建ての家がとにかくくっついて建てられて、それが増殖したような状態になっていること。
「ここには700家族が住んでいるわ。でも、トイレは共同で4つしかないのよ。」とレッカ・マダム。
その地区に入ってまず目に付くのは、人1人くらい入れそうな大きな青いタンク。(たぶん水だ。)
そして、15リットルくらいのタンクやボトル(洗剤?)。
『きっと、洗濯スペースだ。』と思った。周りの至るところにロープで吊るされた洗濯物がかかっていたから。
そこには、ちゃんと屋根が付けられて、手入れされてる感じがした。地面は薄いブロックやコンクリートで舗装されてる。
そして、うろうろしているニワトリ・ネコ・カラス。
この後、三軒の家を見せてもらった。
ひとつ目:実は見た中で一番広かった
1軒目に見せてもらった女の子の家は、2階建ての家の1階の2部屋。
入り口でサンダルを脱いで入ると、すぐのところにおじいさんが床の上で寝ていた。薄暗い。
全体の広さは6畳くらい。
壁にヒンドゥー教の神様の絵がかけられていて、花で飾ってある。
奥の台所からお母さんが出てきて、メジと私のためにプラスチックの椅子を持ってきてくれた。(インドでは、お金持ちの家でない限り、椅子と言えばたいていこれ。イベント会場でもよく見るので、日本のパイプ椅子と同じような役割かも。プラスチックとは言え、適度に湾曲していて、そこそこ座りやすい。)
マダムたちに勧めても、逆に「座って。」と言われるばかりだった。
この地区には電気がちゃんと通っていて、私たちの座った頭上にはファン(扇風機)がブンブン回っていて、おじいさんの向こうには小さなT Vもあった。そして、台所には小さなプロパンガスが繋げられたコンロがあった。
水は、どこかに汲みに行かないといけなさそうだ。(井戸に行くか、たぶん市役所からの水タンクローリーによる供給。)
お風呂は恐らく、トイレの近くにこれまた共同で水場でも作ってあるんだろうと思った。
気候も暑いので、インド人の大多数はバケツかシャワーで行水だ。
(バスタブがあるお家は、お金持ちだったとしてもかなり稀。ちなみに、私も留学した2年間はシャワー生活。湯船が恋しかった…。)
マダムたちとお母さんがマラーティ語で喋るのをなんとはなしに聞いて、じゃあ次の家へ・・という流れになった。
ふたつ目:ミニマリスト
そこは見せてもらった家の中で、一番狭かった。
4〜5畳の部屋が1つだけの住居。
「ここは5人家族よ。」と聞いて少しびっくり。
小さな男の子が、床の上のマットに丸くなって寝ていた。N校で教えた女の子の弟だ。夜はみんなそこに川の字になるのだろう。
壁に、見事にきちっと整理されたステンレスの食器が並んでいた。
この家にも扇風機・T V・コンロがあった。
これだけの狭さの中で、生活に必要なものが最低限揃っている・・というのが驚きだった。
一番じっくり見てきた3つ目のお家の話は、次回乞うご期待♪