※ネタバレあります。
話の中身を知りたくない方は、観終わってからまたお越しくださいませ。
(ただ、一度見ただけの内容なので、事実と違うことを書いていたらご容赦ください。)
昨日、柏のキネマ旬報シアターで気になってた映画を見てきました(^^)。
何せ、舞台が私の第2の故郷ムンバイだという、『あなたの名前を呼べたなら』。
『懐かしの風景が見られるかな〜。』という下心もあって、
いそいそと柏へ向かいました。
で・・うん。良い映画でした。
身分・カーストの差が男女の恋愛や結婚にもろに(悪)影響を及ぼしている例。
でも、最後には少し希望の光も見えます。
【設定】
女性の名前はラトナ。
ムンバイからバスで数時間圏内の、マハラーシュトラ州の村が実家。
彼女は20代だけど既に「未亡人」。
19歳で結婚して、新婚4ヶ月で夫が亡くなっちゃったため。
恐らく、彼女のカースト(身分)は「シュードラ」
(4つあるインドのカーストの1番下で、召使い・メイドになる階級)。
ラトナは今、大都市ムンバイのアシュヴィン宅(男性一人暮らし)でメイド(掃除・お料理係)として住み込みで働いてる。
(メイドと言っても、インドのメイドはメイド服でなくサリーを着ています♪)
インドのメイドはみんなそうだけど、ご主人様アシュヴィンのことを「旦那様(Sir)」と呼ぶ。
が、実はファッションデザイナーになるのが彼女の夢。
彼女はアシュヴィンの許可をもらって、メイドの空き時間14〜16時に、お裁縫を習いに行くことに。
一方の、ご主人様アシュヴィン。
(ご主人様と言っても、「夫」という意味でなくて、「メイドの雇い主」という意味。)
年代はアラサー。
彼はムンバイのお金持ち地域マリンドライブの高層マンションに独り暮らししてる。
彼のお父さんは建設会社の社長だか、重役。
アシュヴィンは、父の会社が現在請け負っているビル建設の現場で、ようやく監督を任せてもらえそうなところ。
本人はかなりソフトな性格。(メイドに料理を出してもらったり、何かしてもらってその都度「Thank you.」と言ってるのは、インド人にしては丁寧過ぎるくらい。)
彼のカーストは分かりにくいけど、4つのカーストの内、上から1番目のバラモン・2番目のクシャトリヤ・3番目のバイシャどれでもあり得る。父の仕事と彼の暮らしぶりから、「上級カースト」と呼ばれる上の3つどれかだと想像できる。
【お話のあらすじ】
アシュヴィンの結婚が破談になっちゃったところから、物語はスタート。
(どうやら、相手の女性が浮気をしていたらしい。あと、結局アシュヴィン自身も彼女をそんなに愛せてなかった。兄である長男が亡くなってるらしく、両親を安心させたくて決めた結婚だった。)
↓
結婚後の新居になるはずだったアシュヴィンのマンションの部屋で、アシュヴィン&住み込みメイドのラトナの生活が再開。
↓
再び、アシュヴィンは家族(特に母・姉)から結婚へのプレッシャーがかかったり、仕事で疲れたりしてる中で、控えめに自分を支えてくれるラトナにじんわり好意を憶えてゆく。
(てゆうか実際、なんでラトナを好きになったかのエピソードは薄いと思った・・。)
「名前で呼んで(『旦那様』と呼ばないで)くれ。」
↓
ある日、アシュヴィンがラトナにキス。
(ラトナは拒否しないものの、困惑。)
↓
その反面、インドの社会では身分・カーストの格差が厳しい。
メイドは中流階級(もしくはそれ以上)の雇い主から分かりやすく差別されている。
例えば、ラトナのメイド仲間ラクシュミおばさん。(同じマンションの別の家庭でメイドをしている。)
働いている家の子どもが自分を蹴ったから、躾のためにその子を叩いたら、奥様に英語で罵られて叩かれた・・と言って泣くシーンなんか印象的。
(「英語で」っていうところも、小さなミソ。ラトナたちがムンバイで喋ってるのはヒンディー語。でも、アシュヴィンや中流階級の人たちは、英語を話してる。)
↓
ということで、
アシュヴィンは中流階級の友達にラトナとのことを勘付かれて、彼女を思っているなら「忘れろ。」とたしなめられる。
(⇨中流階級とメイドの恋愛・結婚はありえないという現実)
ラトナ自身も、雇い主と恋愛関係にあること
がマンションの警備員(噂好き)や村の家族・死んだ夫の家族に知られたら、もうやっていけない・・と悲観。
(⇨身分・カーストの差別と、それが染み込んだ世間体を気にする現実。すごく典型的。)
↓
ラトナがアシュヴィンの家から去る。
アシュヴィンには「もう連絡しないでください。」と言う。
(村からムンバイに嫁いできた妹の所に身を寄せる。)
アシュヴィンも、辛くなってアメリカ(以前仕事していた)に渡ることにする。
それを父に報告に行くアシュヴィン。
父「メイドと寝たのか?」
アシュヴィン「いいえ。でも愛しているのです。」
父、「(メイドを)好きになったならアメリカへ行くのはいい決断だ。」
(⇨インドでは、そんな恋愛関係は許されないので、別の国・文化圏へ行くのは良い気晴らし、もしくはそういう関係でも一緒にいることが許される新天地になる・・って意味でしょうか)
↓
妹夫婦と雑居アパートで暮らし始めたラトナ。
突然、アシュヴィンの友達の女性(服飾の仕事をしてる)から、ファッションデザイナーとして雇ってもらうことになる。
きっとこれは『旦那様のお陰だ。』と思って、アシュヴィンのマンションを訪ねる。
が、アシュヴィンは渡米しているため、部屋に鍵がかかっている。
悲しむラトナ。
折しも、そこにアシュヴィンから電話が。
「もしもし?ラトナ?」
「・・・・。アシュヴィン。」(初めてラトナが彼の名前を!)
(終わり)
で、その後どうなったかはご想像にお任せします状態。
実際、この後いちばん2人にとって都合が良いのは、
ラトナもアメリカに渡って、偏見の少ない新天地で2人で支えあいながら暮らしてゆくこと。
ただし、インドの家族・友人とはほとんど絶縁状態になってしまうでしょう。
家族を大事にするインド人精神と、どうやって折り合いを付けるかは大きな課題になると思います。
でも、インドで2人でやっていこうものなら、まず親の説得、友人知人の説得に大変な時間を割くことになるだろうし、それでも受け入れてもらえないかもしれない。それ以外でも、きっと周囲の偏見の目から一生逃れられない。
なんでこんなことが起こってしまうの?
と思われた方、以前書いたカーストと結婚の関係の記事をよかったらご覧になってみて下さい。合わせてこちらの記事「インド人の家族観・結婚観」もどうぞ。
ざっくり言うと、インドで一般的に大事にされるのは個人ではなく、家や家族。
だから、インド社会全体がカーストという身分制度で今もなお分断されている状況では、カーストを超えた人付き合いや恋愛・結婚はまだまだタブー視されている・・という現実があります。
そんな現実を、落ち着いた目線で描き出している映画でした。
ドラマティックなストーリー展開ではない。
でも、そこに彩りを添えるように、良いタイミングでインド音楽(歌)やガネーシャのお祭り(ムンバイで毎年秋に盛大に催されるガネーシュ・チャトルティ)も挟み込まれていて、楽しかったです(^^)。
まだまだ、各地の映画館で上映されていると思います。
お時間のある方、ぜひ♪
コメント
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カーストの問題、前の記事も拝見しましたが、インドではやはり大きいですね。
宗教の違いが結婚の障害になることは、ままありそうです。熱心な信者でなければ好いのですが、信徒となると宗派や宗教が異なると、特に葬祭の時に問題になります。
私の姉はクリスチャンで、一定の拘りがありますが、家の菩提寺が北海道にある夫は、ほぼ無宗教なので、妥協しているようです。
イスラム教徒のように、生活や政治が宗教に支配されている国では、本当に結婚は自由意志でということは難しそうな印象を持ちます。
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>アヨアン・イゴカーさん
こんばんは。
はい、宗教的な人達は殊、結婚に関しては大変だなぁと思いますね。