10月30日(火)
デリー小旅行の最終日。
「デリーの父」Sさんには、最後の最後までお世話になった。
私は30日夜から、来た時みたいにまた夜行列車で20時間かけてムンバイに帰る予定だった。
…が、熱で弱っている私にそんな芸当できるはずもない。
Sさんが「飛行機で帰ったら?」と勧めてくれて、有り難いことにチケットの手配までSさんの会社の人がしてくれた。
さらに、私がデリーで買い集めた本や、妹が東京から持ってきてくれた食糧たちを段ボール箱に詰めてムンバイの新居に送る手配までして下さった。(11月1日に下宿を引越しする予定だった。)
その上、最終日のアッシーとして、車とドライバーさんを夕方まで貸して下さった。Sお父さん、この御恩は一生忘れません。
さて、最終日の朝。
私はまだ熱っぽかったものの、なんとか動けるまで回復していた。
ホテルをチェックアウト。2人で1泊3300ルピー(約5300円)×3日分。部屋も立地も素晴らしかったけど、インド的に見てもわりとリーズナブルだった。
で、まずはお土産調達。
- 日本食料品店「ヤマトヤ」:私が醤油やかつおぶしを調達。
- 外資系スーパー「スペンサーズ」:妹が紅茶やビスケットを買う。
そして、1カ所だけ観光。
インド各地の民芸品が集まる「ディリー・ハート」に行って、見て回りながらお昼を食べた。
帰りの飛行機は、私のが17時台、妹のは20時台だった。
15時過ぎ、先に私が国内線空港で車を降りて、その後ドライバーさんが妹を国際線空港まで送ってくれることになっていた。
思い付いて、空港に着くまでに車内で東京のじいちゃんばあちゃん宛に手紙を書いた。そしてそれを妹に託した。
「じゃあ、気をつけてな。来てくれてありがとう。」
「姉ちゃんこそ気をつけて帰ってね!こっちこそありがとうね!」
国内線空港のエントランスで、自分の不甲斐なさに苛まれながら、青空の下去っていく妹の乗った車を見送った。
飛行機に乗っている間が、ある意味いちばん辛かった。
また熱が出てきていたのに、機内は冷房でよく冷えていた。
キャビンアテンダントのお姉さんにブランケットをもらってくるまった。熱で身体が痛くて動けなかった。
それでいて、この数日間の体調絶不調と自分の為体ぶりに、やるせなくて涙が込み上げてきた。
妹ともっと話したかった。いろんな場所に連れて行ってあげたかった。
自分の体調管理の至らなさ、そのくせ予定を詰め込んで容量オーバーになる見通しの悪さに、何もかもに腹が立った。
そして、こんな精神的にも肉体的にもズタボロな状態で、独りでムンバイに帰らないといけないなんて…。
『府中(実家のある街)に帰りたい…。』と切に思った。
辛くて、痛くて、身動きもできないまま泣いていた。
私の座席は通路側だった。隣の席の人はいなかったと思う。
もし誰かいたら、人情あふれるインド人はアジア系の顔したおちびが一人で泣いているのを見て、心配して声をかけたりキャビンアテンダントを呼んでくれたかもしれない。
でも、仮にそうだったとしても、もはや人に状況を説明する気力も元気も、その時の私には残っていなかった。
ムンバイのマイソール・コロニーに帰るための最低限のエネルギーしかなかった。
空港からはプリペイドタクシーを使って帰った。
「いまの私のホーム」に。
コメント
[…] ※あまりに前回から時間が空いてしまいました。ごめんなさい。前回のお話はこちら。 […]