三つ目:落ち着く
そのスラムで最後に見たのは、レッカ・マダムのお家。
(つまり、マダムの娘のN小学校7年生のプラジャクタの家でもある。)
家の入り口から、暗くて細い通路が2メートルほど伸びている。
2人並んでは歩けない幅。頭上にはロープが渡してあって、サリーなどの服が何着もさげてある。
中には4〜5畳の部屋がひとつ。
左右にはT V棚やカップボード(衣装棚)。奥には、ガス台(小さなプロパンガスが繋げられてる)とステンレス食器が並べられたお料理スペース。
その横には排水スペース。
排水スペースはコンクリートで作られてる。縁を少し高くしてあって、水などを流せるようになってる。(おしっこくらいなら、そこでしちゃうことも。)
お料理スペースのすぐ横から、はしごが上にかけてあって、中2階もあるようだった。(そこは見せてもらってない。)
窓がないので、どうしても薄暗い。
「座って。」
レッカマダムは部屋の中に私たちを座らせた。
5人(マダムと、娘のプラジャクタ、ギータ・マダム、メジ、私)で座るともう部屋は満杯。
頭上には扇風機が回っていた。
今回見せてもらったスラムの3軒の家全部にT Vと扇風機があったのは少し驚きだった。
(とは言っても、実際ムンバイの夏は日本と比べ物にならないくらい暑いから、扇風機は必須だ…。)
マダムは、まず水をステンレスのコップに入れて出してくれた。(水道はないのでボトルに汲んであったもの。)
そして、
「これ、私の村から来たのよ。」
と言ってスイカを切って出してくれた。あと、インドでよくあるスナック菓子も。(ベビースターラーメンを辛くしたようなのと、ナッツが混ざってるやつ。)
最初私は、初めて女の子たちの住まいに来た緊張と興奮とでソワソワしていた。けれど、甘いスイカを頬張って、メジとマダムたちが話しているのを聞いている内にだんだん落ち着いてきた。
と同時に感じたのは、
『なんだ、私でも(スラム)住めるじゃん。』
ということだった。
部屋は暗くて狭いのに、なんだか不思議と気持ちが落ち着いていた。
なんだかんだ言っても、同じ人間が住んでいるのだ。
でも、これだけ混んでいると、T Vでも点いた日には子どもたちは全然勉強できないだろうな、とも思った。
プラジャクタには弟が1人いる。(一度Nプロジェクトの部屋に彼女が連れてきていた。)だからきっと、お父さんとお母さん(レッカ・マダム)も入れて4人家族。きっとT Vのチャンネル争いもあるんだろう。
メジ伝いに聞いたレッカ・マダムの話は、実は今までのフィールドワークの話の中に散りばめられている。(スラムの家の家賃についてとか。)
それにしても、細身のレッカ・マダムは毎回サリーをきちっと着て教室にいるので、まさかこんな穴蔵みたいな場所から毎日来ていたとは信じ難かった。
レッカ・マダムを、そしてその地域でしっかり生きている人々を尊敬した。
4つ目:アパート>スラム
ところで、この家庭訪問にはもう一つオマケがあった。
レッカ・マダム、プラジャクタと別れて、元来た道を戻っている時に、ギータ・マダムが言った。
「私の家も近くだからいらっしゃい。」
その時、メジと私はまだお昼ご飯を食べていなかった。
S小学校で最後のレッスンが終わって家庭訪問に出かけたのが13:30ごろ、先ほどレッカ・マダムの家を出たのが14:30前後。スイカとおやつがあったとは言え、腹ペコだった。
でも。
「ぜひ!」
何せその日はフィールドワーク最終日。
行かなかったら、永遠にそのチャンスを逃してしまう。時々、人生では何もかも一時に起こりすぎる。
さて、ギータ・マダムの家はS小学校の前を過ぎて2〜3分のところにあった。
3回建てくらいの古びたアパートがたくさん並んでいる一帯の、そんなアパートの2階の一室。
それでも、アパートに入居しているということだけで、その日スラムで見せてもらったどの家よりも住環境が恵まれているのは確かだった。
廊下で靴を脱いでドアをまたぐ。
入ってすぐの部屋には、T Vとベッドがあって、おじいさんがヒンディー語のドラマを見ていた。ギータ・マダムのお父さんだ。
「ナマステ。」
「ナマステ。」
電気が明るかった。
その部屋でまた、水とスナックをごちそうになった。
壁に、ヒンドゥー教の神様の絵がかけてある。
絵の上に赤いランプが点いていて、額縁の上部の左右から黄色い花輪がV字にかけられてる。(インドのお家でたいへんよく見る光景。)
最初のお部屋の奥には、キッチンと勉強部屋、その向こうに物置状態のベランダがあった。トイレはアパート内で共有。ともあれ、これだけのスペースがあれば、家として全く問題なし。
住むところにもいろいろあることを実感させられた一日だった。
全部のお家の訪問が終わって、私たちはフィールドワーク中によく通った食堂で遅いランチを食べてから帰った。