就活と世界史と生きることの意味。

とんとご無沙汰してしまいました。
みなさまお元気でしょか。

私はこの1~2ヶ月くらい、自分のことでいっぱいいっぱいでした。

まず就活。
2校目おちた。
(1校目は書類で落選。多分教員の経験者がほしかったのでしょう)
でもこれは必然でした。
何がダメだったかって、世界史の教師になりたいのに世界史の試験がボロボロだった。

そこで初めて気づいたのでした。
面接に受かる自信があっても(←生意気)、試験に受からないんじゃしょうがないと。昔は得意だった世界史でも、いまや知識が穴ボコだらけなのだと。
ということで10月は急遽「世界史強化月間」になりました。ここへ来てもう一月延長されましたが。
そんな訳で日々ノート作りと教科書のおさらい云々。絶賛継続中の世界史強化月間も、本日からふた月目に入ります。
でも来月までは延ばさないつもりです。来月こそはインドの体験本を書き始める。(勝手に宣言しておいて、自分で自分に言い聞かせるのです)

  *  *  *

そんな中、10月下旬に私のギターの師匠だったにの先生が亡くなりました。
享年34歳。がんでした。

昨年今頃に突然倒れてがんが発見され、余命1年と言い渡されて。
(その時まだ私はインドにいました。昨年5月の一時帰国の時に、他のギターの生徒さんたちと飲んだばっかりだったのに。)
それでもこの1年、にの先生は本当にがんばってた。
私はフェイスブックで見ていただけですが、何度もがんの転移で手術をして、主治医の先生に「(遺書か)なにか残されてます?」と聞かれながらも、最後まで希望を失わないで自分のCDを作ろうともがいて。
奥さんと、生まれたばかりの娘さんもいたから、余計に先に逝くわけにはいかなかったでしょう。

心配しながらも、フェイスブックで見るにの先生はけっこうがんばってたから、「これなら大丈夫かも・・」と思ってもいたのです。
それでも・・最期は突然でした。
ほんとうに1年で逝ってしまって・・。

にの先生のお葬式の間、今更ながら
「生きるってなんだろう」「死ぬってなんなんだろう」と
自問自答していました。
最近は、結構ドライに考えていたのです。
生きるも死ぬも運次第だから、しょうがない、と。それはもちろん、家族や自分自身に対してもです。

今でも基本的には自分は運命論者だと思いますが、今回思ったのは
「生きるっていうのは、この世で私としての時間が使えることなんだろう」
ということでした。
魂はずっと生きるかも分かりません、
輪廻転生して生まれ変わるかもしれません。
それでも、私が「みやま」として生きられる、「みやま」として時間が使えるのは、この人生こっきりなのです。
それは旅に似ていると思いました。
例えば私が東京から京都に行って、新幹線の時間が来たら、どんなにまだやり残したことがあろうとも切り上げて帰らなければいけない。そんな風にいつかはこの人生でやることをお終いにして、どこかへ旅立つ日が来るのだ。
あぁ、だからこの人生は「私」にとって一度きりで掛けがえのないものなのでしょう。

志半ばで逝くときもあるかもしれない。でも、ともかくも生きている間は、自分なりにできること・やりたいことをやってみようと思う次第です。
その過程で廻りあう人に、物事に 感謝の心を忘れずに。

ちょっと、いやかなりくさすぎたかしら

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