赤ちゃんに手作りスパイスティー♪ 出産・子育て

赤ちゃんに手作りスパイスティー♪

こんにちは、娘がもうちょっとで1歳になる…!みやまです。 先日、出産後初めて葛西のよぎさんのレストラン「レカ」に行ってきました。 (お店のページはこちら♪食べログページはこちら。) よぎさん、多忙な中、娘とめっちゃ遊んでくれて、いろいろお話もできて、最後に「プレゼントです。」と赤ちゃんの身体に良いス…
1年目秋休み(2012年10月〜11月)3. 秋休み後半:病人 連載-インドがわたしの故郷になるまで

1年目秋休み(2012年10月〜11月)3. 秋休み後半:病人

※あまりに前回から時間が空いてしまいました…。前回のお話はこちら。 デリー小旅行から帰って4日間は完全に病人だった。 (そもそも秋休み前の期末試験期間から体調悪かったので、かれこれ2週間くらいこんな調子だった事になる。) ①10月31日(水) 朝ごはんの後、オートリキシャで学校の無料診療所へ。(休暇…
ああぁ… ブログ blog

ああぁ…

インド社会ブロガー名乗ってるのに、1ヶ月近くブログ更新できてない、体たらくです。 原因は、 娘が生後10ヶ月過ぎて少し日常生活のパターンが読みやすくなったのと、 千葉県でコロナの状況がそこそこ落ち着いているのもあり、 私がいろいろ好きな事をやり始めたから。 9月は、 新型コロナウイルスの感染拡大後初…
【現在】これから〜日本の村とインドの村〜 かんまき物語

【現在】これから〜日本の村とインドの村〜

目次 4. これから〜日本の村とインドの村〜 過疎地に必要なもの 日本とインドの村 最後に じいちゃんばあちゃんの住んだ家「おおたね」の石垣に生命力いっぱいに自生していた多肉植物。 4. これから〜日本の村とインドの村〜 過疎地に必要なもの 2016年1月に、宇和島市役所に上槙の人口を問い合わせてみ…
【現在】残っていた人たち かんまき物語

【現在】残っていた人たち

3. 残っていた人たち(2015年) 2015年1月、母方のじいちゃんの七回忌で宇和島に行った。 その時、幸恵ばあちゃん・ノブヱばあちゃんと父と私とで上槙まで足を延ばした。東京から愛媛まで来るのもなかなか難しくなった父方の幸恵ばあちゃん(当時89歳)に故郷の上槙を見せてあげようね、というのが目的だっ…
【戦後〜現在】戦後の上槙・上槙とわたし かんまき物語

【戦後〜現在】戦後の上槙・上槙とわたし

目次  1. 戦後の上槙  2. 上槙とわたし 1. 戦後の上槙 ここまで見てきたように、私のじいちゃんばあちゃんが生まれ育った村、上槙は町からだいぶ離れていて、周りも山だったために開発が遅れ、戦時中まで江戸時代とさほど変わらない生活をしていた。電気がやっとこさ通ったのは、戦後何年かしてからだ。 私…
【戦前・おまけ2】屋号 かんまき物語

【戦前・おまけ2】屋号

上槙には一軒一軒の家に家の名前、屋号が付いていた。 「小林さんち」とか言うよりも、屋号を使っていたのだ。 進じいちゃんの家は「おおたね(大谷)」、幸恵ばあちゃんと母の実家は「のぼりはえ(登りハエ)」、ノブヱばあちゃんの実家は「うしろやしき」。 この左側に「のぼりはえ」があった。今は木々が鬱蒼と茂って…
【戦前・おまけ1】道を作ったひいじいちゃん かんまき物語

【戦前・おまけ1】道を作ったひいじいちゃん

電気も水道もなかった上槙だが、もう一つないものがあった。 それは道路。 リヤカーや人力車、さらには車を走らせられるような舗装された道だ。 「道路なんてどこでも当たり前にあるもんじゃないの?」 と思われるかもしれない。私もそう思っていた。 でも、山の中の集落だった上槙では、どこへ行くにも舗装されていな…
【戦時中】2人とも中国へ かんまき物語

【戦時中】2人とも中国へ

※この話は今回初めて書きました。私が2016年にまとめた「かんまきレポート」には書いてなかった内容。けれど、流れ的にも戦争の時の話が抜け落ちてるのは変だし、何よりも今年は戦後75年で少しは関心を持ってくださる方がいれば・・と思って書いてみます。 ※とは言え、まずは要旨のみ。特にじいちゃんの話は長くな…
【戦前】村の仕事・一日・夜の生活 かんまき物語

【戦前】村の仕事・一日・夜の生活

目次 5. 村での生活 ④大人たちの仕事 6. 村の一日 7. 村の男女(うふふ)  5. 村での生活 ④大人たちの仕事 上槙の村の人たちは、どうやって生計を立てていたのだろうか?基本的には農業、そして林業によってだ。 まず、どの家も田んぼでお米を作っていた。 上槙の田んぼ(2019年6月) 小作(…