この日。―戦争の記憶とひやしうどんー

69年前に玉音放送が流れて太平洋戦争が終わって、
67年前にインドがイギリスから独立して、
2014年の今日、私はおばあちゃん(89歳)と父と多磨霊園にお墓参りに行ってきた。

お墓参りにいったのは別に終戦記念日だからじゃない。お盆だから。
おじいちゃん(95歳)は最近足が悪いからお留守番。

お墓に眠っているのはおじいちゃんのお父さんとお母さん。
(つまり私のひいじいちゃんとひいばあちゃん)
ひいじいちゃんは日露戦争(1904年)に従軍したらしい。

うちの家系はもともとみんな愛媛県の宇和島のそのまた奥、上槙(かんまき)という村にいた。今はもうお年寄りが数人住んでいるだけの集落だ。
太平洋戦争が始まる前からおじいちゃんが東京に出て、勉強か何かしてたみたいだけど、戦後に父方の家族が上京して来た。

私のおじいちゃんは満州で、おばあちゃんは中国(武漢か重慶)で終戦を迎えた。(母方のおじいちゃんおばあちゃんは戦時中まだ子供だったので、戦争には行かなかった。)

おじいちゃんは兵隊だったけれど、その中でも憲兵(けんぺい)と言って、どちらかというと諜報活動や警察のような活動をしていた。
おばあちゃんは看護婦さんだったので、軍隊に付いて行ったけれど、あんまり前線(戦闘が激しい地域)の方には行かなかったみたい。

戦争中の話をたまにおじいちゃん達から聞くけれど、戦時中より戦争が終わってから日本に帰れるまでの方が大変だったみたいだ。
おじいちゃんもおばあちゃん(ちなみに日本に帰ってきた後に結婚した)も、終戦から帰国まで1年か2年くらいかかってる。

そりゃそうだよね、それまでは支配していた側だったのが、敗戦して一転、追われる側になったんだから、中国や韓国に入り込んでいた人たちは大変だ。
いや、大変どころじゃなかったと思う。
着の身着のままで逃げて、ご飯だって満足にあるはずもなくて、引き揚げ船が日本から来るまで逃げ隠れしながら待ってなきゃいけなかったんだから。

・・どんなに想像力をこらしたとしても、所詮、生の経験には追いつかないけれど。

時代は変わって。
私はお墓参りに行った後、冷やしうどんを作ってお父さんと食べた。(お母さんはお仕事。)
おいしかった。
インドじゃなかなか食べられなかった。私は幸せだ。

そう。幸せ。日常のなんでもない幸せ。
蛇口をひねれば飲める水が出て、ガスですぐにお料理できて。
電気が点いて、パソコンがあって、こうして私はブログを打っている。

戦時中はそうは行かなくて、空襲で何もかもなくなって、おじいちゃんおばあちゃんたちの世代は何もないところから、貧困の底から再出発した。
私がいま、こんな平和な便利な生活を送れているのは、おじいちゃんおばあちゃん世代が戦後汗水たらして働いて、その後にお父さんお母さん世代がまた頑張ったおかげなのだ。
戦争も、その後の苦労も知らずにありがたーく平和の中にどっぷり浸かっているのだ。

この幸せは、当たり前のものじゃなく、誰かの犠牲や努力の上に成り立ってるものなのだ。(民主主義だってそうだ。)
だから、その上にふんぞり返ってるわけには行かない。
感謝の心を忘れないで、孝行したいと思う。
そして、自分に出来ることをがんばるのだ。

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