根は甘えん坊なんだろうに、人に甘えるのは苦手なんだ
ずっと強がって生きてきたから。
でもインドへ来て
一人じゃできないことがいっぱいあるから
人に頼ることを覚えはじめた。
(働いてた途中から、その大事さはうすうす気付いていたけど)
そういう意味では
インドは私にとって
「人を頼る」実践の場なんだろ。
ここではみんな
寄り掛かりあいながら 助けあいながら 生きてる。
時に煩わしいのも事実だけれど。
それでも
家族は 友達は 隣にいる人たちは
こんなにも大事だって
今更ながらに思い知らされてるんだ。
そして それこそが人間らしさなんだろうって思う。
もっと人に頼っていいんだ
完璧な人間なんていないんだから。
東京で私は
「人に迷惑をかけちゃいけない」
「自分のことは自分でするのが当たり前」
って思って生きてきた。
それは一面では私を強くさせたけど、
逆の面では ギリギリまで人を頼れない
弱い人間に仕立て上げた。
善いことをするにも決心が要った、
電車で誰かに席を譲るにも
一呼吸おいて 覚悟してからでないと実行に移せなかった。
仕事上でなら、立場が後押ししてお節介でも何でもできたけど、
ひとたび一個人の私として外に出たなら、
善意の行動でも 見知らぬ人に声をかけたり、接触するのは勇気が必要だった。
なのにムンバイでは、
駅のホームでも電車でも たいていどこでも
みんなためらわずにバンバン話してる。
電車内では、左右のドアどっちから降りるかアナウンスがないから
必要上みんな、どの駅で降りるか、どっち側から降りるのか
確認してるのもあるけど。
(前の人が乗るのが遅い、とかってしょっちゅう舌打ちもしてる。)
こっちが東京であんなに緊張して
見知らぬ人に話しかけてたのが拍子抜けするくらい、
バカらしくなるくらい
心の垣根なしに自己表現して、コミュニケーションしてる。
これは別に日本が悪いって言ってるんじゃない、
インドが良いって言ってるんじゃない。
でも感じる、少なくとも東京では
個人主義がゆきすぎてるんじゃないかって
個人の時間を、空間を大事にするあまり、
人との時間を大切にできてない人、
けっこういるんじゃないかなぁ
時には、家族との時間さえ・・。
自分が一時期そうだったから、今言えるんだ。
当時の私は、自分中心で過ごしてたから、
家族が休日で家にいる日だって
朝ごはんも昼ごはんも 自分の好きな時間に一人で食べてた。
夜はさすがにだいたい一緒だったけど。
でもさ、家族でご飯を一緒に食べるのって、
ほんとは とっても大切なことなんだよね。
みんな基本的にいつも忙しくしてるから
ゆっくり話できるタイミングなんてごはんの時間くらいだもの。
それを逃してしまったら、
下手すりゃほとんど人と話をせずに休日一日過ごせてしまう。都会では。
1300万人東京に入るってのに、
私にしてみれば東京砂漠だった、
人と人との関わりが極度に薄い街。
その中に自分の家・友達・職場
―オアシスは点在していたけれど、
その間を渡るときは孤独だった。
大丈夫なふりをしていたけれど 淋しかったんだと
ここへ来て気付いた。
ちなみに―今はまた違うタイプの寂しさに
迎えられてしまった。
同級生たちがHindiでしゃべっている時に
輪の中で一人取り残されてしまう寂しさ。
結局、どこにいても 何かしらのさびしさはつきまとうものなのか。
だとすれば―だからこそ
私は家族を、まわりの人を大事にしたい。
―だから、自分の家族もほしいんだ。
残念ながらまだお相手はいないけれど
いえ、自分の中で大事にしたい、大事にしてゆけたらいいなぁってひとは、いる。
でも、その人がわたしを受け容れてくれるかは・・知らない。ですけど。
家族って昭和っぽくて古くさいもの、
気恥ずかしいもの、めんどくさいものだと
思って 中学・高校から20代前半くらいまでは
避けてきた。
でも離れてみて、そのかけがえのなさに気付かされたんだ。
(これはインドに来たから、って意味じゃない。家族から離れた時間があったって意味。ここ数年このことは感じてた、言葉にするのはこれが初めてだけど)
だからもう迷わない。
家族は同じときを生きてい
くための 喜びも痛みも分かちあえる、運命共同体なんだって。
ということで宣言。
私は家族を大事にします。
コメント
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みやちゃん、色々考えて頑張ってるんだね。私も家族大切にするよ☆
私も、人って、意外と頼られるの好きだから、甘えていいんだって気づいたとき、少し楽になったことあるよー。日本人も自然に助け合うことができるようになりたいねー
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りゃまちゃんはもともとまわりの人たちを大事にしてるイメージあるなぁ。
うん、もっとまわりに甘えようって思った