月: 2020年8月

【戦後〜現在】戦後の上槙・上槙とわたし かんまき物語

【戦後〜現在】戦後の上槙・上槙とわたし

目次  1. 戦後の上槙  2. 上槙とわたし 1. 戦後の上槙 ここまで見てきたように、私のじいちゃんばあちゃんが生まれ育った村、上槙は町からだいぶ離れていて、周りも山だったために開発が遅れ、戦時中まで江戸時代とさほど変わらない生活をしていた。電気がやっとこさ通ったのは、戦後何年かしてからだ。 私…
【戦前・おまけ2】屋号 かんまき物語

【戦前・おまけ2】屋号

上槙には一軒一軒の家に家の名前、屋号が付いていた。 「小林さんち」とか言うよりも、屋号を使っていたのだ。 進じいちゃんの家は「おおたね(大谷)」、幸恵ばあちゃんと母の実家は「のぼりはえ(登りハエ)」、ノブヱばあちゃんの実家は「うしろやしき」。 この左側に「のぼりはえ」があった。今は木々が鬱蒼と茂って…
【戦前・おまけ1】道を作ったひいじいちゃん かんまき物語

【戦前・おまけ1】道を作ったひいじいちゃん

電気も水道もなかった上槙だが、もう一つないものがあった。 それは道路。 リヤカーや人力車、さらには車を走らせられるような舗装された道だ。 「道路なんてどこでも当たり前にあるもんじゃないの?」 と思われるかもしれない。私もそう思っていた。 でも、山の中の集落だった上槙では、どこへ行くにも舗装されていな…
【戦時中】2人とも中国へ かんまき物語

【戦時中】2人とも中国へ

※この話は今回初めて書きました。私が2016年にまとめた「かんまきレポート」には書いてなかった内容。けれど、流れ的にも戦争の時の話が抜け落ちてるのは変だし、何よりも今年は戦後75年で少しは関心を持ってくださる方がいれば・・と思って書いてみます。 ※とは言え、まずは要旨のみ。特にじいちゃんの話は長くな…
【戦前】村の仕事・一日・夜の生活 かんまき物語

【戦前】村の仕事・一日・夜の生活

目次 5. 村での生活 ④大人たちの仕事 6. 村の一日 7. 村の男女(うふふ)  5. 村での生活 ④大人たちの仕事 上槙の村の人たちは、どうやって生計を立てていたのだろうか?基本的には農業、そして林業によってだ。 まず、どの家も田んぼでお米を作っていた。 上槙の田んぼ(2019年6月) 小作(…
【戦前】村での生活②子供③医者迎え かんまき物語

【戦前】村での生活②子供③医者迎え

目次  3. 村での生活 ②子供たち  4. 村での生活 ③病院もなくお医者さんもいなかった  3. 村での生活 ②子供たち  じいちゃんばあちゃんの時代は子だくさんだった。じいちゃんは3人きょうだい。ばあちゃんは8人きょうだい(彼女の弟の一人が私の母方のじいちゃん。そして、その8人以外に生後まもな…
【戦前】陸の孤島・村での生活①食べもの かんまき物語

【戦前】陸の孤島・村での生活①食べもの

 これはおよそ昭和元年(1925年)から1945年の終戦前後の話になる。じいちゃんばあちゃんの幼少期から青年期にかけての話だ。 目次 1. 陸の孤島〜どこへ行くにもひたすら歩くしかなかった〜 2. 村での生活 ①どんなものを食べてたの? 1. 陸の孤島〜どこへ行くにもひたすら歩くしかなかった〜 今で…
わたしの家族と上槙 かんまき物語

わたしの家族と上槙

私の祖父母は、四国の西南部に位置する、愛媛県北宇和郡津島町下(しも)畑(はた)地上(じかん)槙(まき)(現・愛媛県宇和島(うわじま)市津島町下畑地上槙)に生まれた。 父方の祖父の進じいちゃんは大正8年(1919年)、祖母の幸恵ばあちゃんは大正14年(1925年)の生まれだった。 ラフなうちの家系図。…
じいちゃんばあちゃんの村・上槙からインドに思いを馳せる かんまき物語

じいちゃんばあちゃんの村・上槙からインドに思いを馳せる

こんにちは、みやまです。 青天の霹靂で、今年4月におばあちゃんが天国へと旅立ちました。94歳でした。 おばあちゃんへの思いは別のブログにしたためましたが、まだやり残していたことがありました。それは… じいちゃん・ばあちゃんの故郷、愛媛県宇和島市にある上槙(かんまき)についての記事を載せる ことです!…